家庭礼拝記録

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手紙全体の結び、エルサレムへの献金と個人的事柄

2023年12月24日

テキスト:Ⅰコリント16:1~24、朗読箇所:ルカ2:1~14

讃美歌:109&111

                (7)結び、エルサレムへの献金と個人的事柄(16:1~24)

 前回で、難解な死人の復活の章を終えた。今回は、コリント教会の信仰上の様々な問題に応えたこの手紙の結びに入る。ほとんど事務的ともいえる部分だが、簡単に触れておきたい。
Ⅰ.コリント訪問の予定(16:1~12)
 1節の「聖なる者たち」とは、当時キリスト信仰本部のように見られていたエルサレム教団(教会)の事である。使徒行伝2:44にあるように彼らは家業を捨て、財産を共有する共同生活をしていたが、それを維持するため、在家信徒からの献金が必要であった。異邦人の割礼なし入信を認めたエルサレム会議は、同時に世界中の信徒達にエルサレム教団への献金も要請したのである。パウロは、これを単にエルサレム教団のためでなく、「ユダヤ人も異邦人もない聖霊による共同体(エクレシア)形成の課題として重要視し、真剣に取り組んだ。(だがこの活動が、パウロとコリント教会に亀裂を生じさせ、またローマで殉教させるきっかけとなった。詳しくは第二コリント書で取り上げたい。)
 「ガラテヤの諸教会」とは、アンティオキア教会から派遣されて設立したガラテア州南部の諸教会ではなく、シラスと共に独立伝道で設立したガラテア州北部の教会である。自分の設立した教会も、全エクレシアの一部であることを表明するためである。
 独立伝道で設立した諸教会の代表者と共に、パウロも同行してエルサレム教団に献金を届けるつもりで、献金を集めつつ陸路でコリントに向かい、コリントから船でエルサレムに出発する予定であった。自分は執筆地エペソでまだ仕事があるが、コリントの状況も心配なので先にテモテを船便で向かわせる事、テモテからの報告をまって自分も出発する事を述べている。そして、マケドニア州経由でコリントに行き、しばらく留まって直接教会の問題に対応したいと述べている。
 彼は、アポロにもコリント行きを勧めたが、アポロは自分を旗頭とする派閥が形成されたと聞いては行く気になれなかったようだ。パウロが、アポロを対抗勢力としてではなく、同労の伝道者として扱い信頼していたことが分かる。
Ⅱ.結びの挨拶(16:12~24) 
 17節に出てくる「ステファナ、フォルトナト、アカイコ」は、コリント教会員であり、パウロに教会の問題を相談にきた人達である。彼らを尊重すべき事を言っている。19節で「アキラとプリスキラ」夫妻とその「家の教会」が出てくる。彼ら夫妻はエペソに定住し、自宅でパウロとは別に集会をしていたのであろう。最後にパウロは、手紙本文のような口述筆記ではなく自筆で挨拶を記している。「マラナ・タ=主よ来たりませ」は、アラム語の挨拶であるが、全キリスト者の挨拶として異邦人キリスト者にもそのまま伝えられ用いられていた。
 昨年9月から始めた第一コリント書を今日で読み終えることができた。拙いなりに読み通すことができて感謝である。来年からは続いて第二コリント書を読んでいく。イスラエル信仰伝統を持つユダヤキリスト者向けに著されたロマ書は、体系的理論的にキリスト信仰を解き明かしている。しかし、異邦人中心のコリント教会が直面した様々な問題(霊的奢り、派閥、偶像に供えた肉の問題、結婚問題など)を取り扱ったこの文書は、私達日本のキリスト者により具体的にキリスト信仰とは何かを解き明かしてくれるように思う。できるところまで、読み通していきたい。
 今日はクリスマスなので、聖書はコリント書ではなく福音書の降誕記事を朗読して貰った。「民全体に与えられる大きな喜び」は、民の指導者や君公ではなく、野宿する羊飼い達のように貧しく低い庶民に告げられたのであった。クリスマスを単なる年中行事としてではなく、「低き者を顧み給う」神に感謝し讃美する機会としたい。