2025年1月19日
テキスト:Ⅰコリント15:3~8
讃美歌:9&288
A.イエスの死と復活顕現
前回は、イエスの死によって「散らされた羊」のようになった弟子達に復活者が顕現され、彼らを立ち直らせ使徒とされたこと、彼らが「神が十字架に死んだイエスを復活させ、キリストとして立てられた」事を告知するためエルサレムに結集移住したこと、を学んだ。復活顕現はそのまま福音宣教の任命である。今回は、福音書にある以外の復活伝承を取り上げたい。
(2)復活顕現伝承
a.パウロ書簡の顕現伝承 :新約聖書中最も古い復活伝承はパウロ書簡の中にある。
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、《キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 4葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 5ケファに現れ、その後十二人に現れたこと》です。 6次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。 7次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、 8そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(Ⅰコリント15:3~8)
パウロが受けた伝承は二重括弧《》で閉じた「キリストが、聖書に書いてあるとおり」から5節「ケファに現れ、その後十二人に現れたこと」迄である。この部分が、復活後数年内にエルサレムで形成された「ケリュグマ=告知」定式であるとされる。ここでまず、復活顕現は災害のニュースのように客観的事実として報道可能な出来事ではない、と言う点を押さえておきたい。時間と空間内の現象世界に、永遠の見えざる神の働きが押し入って来た。この神の関与を、それを知らない世界に告知し証言するために選ばれ、復活者が顕現された。そして、その証言を受け入れる者にも同じ認識(信仰)を生じさせる。復活証言は単なる知識ではなく、信仰を呼び起こす。
さて、この復活の証人の筆頭「ケファ」は「岩」という意味のアラム語であり(ギリシャ語では「ペテロ」)、イエスがガリラヤの漁師「シメオン=シモン」に与えた呼び名である。アラム語がそのまま使われているという点からも、ケリュグマが成立したのは最初期のエルサレム共同体だと言う事が分かる。次の「十二人」は定冠詞付であり、裏切ったユダ以外の生前のイエスが選んだ弟子集団であり、ガリラヤの弟子達を代表している。復活の証人およびイエスの教えの継承者として、彼らの権威が確立していたことが分かる。ケファも十二人に含まれるのに、わざわざ別に名を挙げられているのは、そのリーダーとしてエルサレム移住を主導したからであろう。
マタイ伝に、彼ら十一人がガリラヤに行き、山で復活者イエスに出会い、世界伝道命令を受けたという記事がある(28:16~20)。これはマルコ伝にある数人の弟子達が体験した山上の変容(9:2~13)の出来事を想起させる。山上の変容は、「人の子が死人の中から甦るまで」口止めされていが、イエス復活後は彼が「神の子」である証拠として盛んに語られたであろう。復活顕現はすなわち伝道命令であるから、マタイ伝は山上での栄光の姿に変容されたイエスを復活者に置き換え、ガリラヤでの弟子達への召命描写に転用したと推測される。
次に、パウロがケリュグマに付け加えた「五百人以上もの兄弟たちに同時に」顕現された件である。五百人もの人が同じ場所に集まれるのは、屋内ではなく野外であろう。しかも狭いエルサレム市内ではなく、おそらくガリラヤであろう。弟子達は自分達が体験した復活顕現を、まず周囲のガリラヤの人たちに語り、(イエスが説教されたように)野外に大勢が集まって彼らが語るのを聞いていた場に、復活者が顕現されたのではなかろうか。ともかく、パウロがこれを書いた時は復活からまだ二十数年しか経っていないから、その体験者がまだ生存していた。「十二人」以外にも、こうした復活の証人達が、各地のディアスポラのユダヤ人達に復活者イエスを宣べ伝えていた(例えば、ロマ16:7「わたしより前にキリストを信じ」「使徒(=復活の証人)たちの中で目立って」いる「アンドロニコとユニアス」など)。
続いて「次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ」の「ヤコブ」は弟子ヤコブではなく、主の兄弟ヤコブである。彼はペテロがヘロデ・アグリッパの弾圧でエルサレムを去った後、キリスト信仰総本山とみなされたエルサレム教団のリーダーとされた。「すべての使徒」とは、十二使徒以外の復活顕現体験者全体を表現している。「その後」とは、必ずしもヤコブへの顕現が彼らより時間的に早かったという意味ではないだろう。
「そして最後に」と、パウロは自分への顕現を最後の復活者顕現としている。彼への顕現の特徴は、①他の復活顕現と時間的に隔たりがあり(ステパノ殉教直後だから、他の使徒達への顕現から3年ほど経過している)、②イエス在世中からの弟子ではなく、むしろキリスト信仰誕生後は「律法から自由な」ヘレニスト・キリスト者を迫害した。「月足らずで生まれたような」とは、未熟児(未完成状態)で使徒とされたという意味ではなく、そのような経歴を謙遜卑下した言い回しであろう。③だがそれが、通常ではない特別なものであったことも示している(行伝には、「目も眩む光の出現」や一時的盲目に陥ったことが記されている)。
復活者との出会いは、彼にとって予想外の思がけないものだったが、それは神の特別な選び(恵み)であった。その恵みは「無駄ではなく」彼は「使徒の中の誰よりも」多くの働きをした。
さらに付け加えれば、十二使徒らがイスラエル信仰伝統にあるユダヤ人にまず復活を告知しようとしたのに対し、彼は最初から「異邦人の使徒」として自覚していたようだ。
b.マルコ伝付加部分にある顕現伝承:マルコ伝付加部分16章9節以下に、残された伝承がある。
①マグダラのマリアへの顕現(9節「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された」:これは、最初期の共同体に広く知られていた。ヨハネ伝は取り上げているが、マタイ伝は「女達」に埋没して記述され、マルコ・ルカ伝は無視。パウロが引用するケリュグマにも残されていない。
②二人の弟子への顕現(12節「彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された」:これはルカ伝で、エマオ途上の弟子達への顕現として詳しく語られている。
上記2件の顕現報告を、弟子達は疑い信じなかった。そこで、
③食事中の弟子達への顕現(14節「十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである 」:これは、ルカ伝やヨハネ伝に詳しく語られている。
(3)女性への顕現伝承が排除されていった理由
最初期の伝承に、マグダラのマリアはじめ女達に、まず復活者が顕現されたと報告されている。それなのに、最古の「ケリュグマ」に女達への顕現はない。またヨハネ伝以外の福音書は、マグダラのマリアへの顕現が最初であることを無視し、女達への顕現に埋没させている。
イエスの死と埋葬を見届けたのは男性弟子達ではなく、ガリラヤから従ってきた「女達」であり、最初に墓が空だと発見したのも彼女達である。女性弟子の主への随順と敬慕は、むしろ男性弟子に勝ると言える。だから復活者も、まず最初に女達に顕現されたのではないだろうか。それなのに、女達への顕現が次第に伝承から除外されていった理由は二つある。
❶ユダヤ教では女性に法廷での証人資格を認めていなかったから: 福音は、まずユダヤ人達に「神がイエスを復活させ、キリストとしてお立てになった」と告知された。その最重要証拠が復活である。ユダヤ人に対する重要証言は、証言者が証人資格ある男性でなければならなっかた。
➋グノーシス主義に対抗するため: グノーシス派は、使徒達の教えは初歩に過ぎず、特別な霊的知識(グノーシス)を与えられた自分達だけが真の救いの道を教えることができると主張した。そして、マグダラのマリアを、特別なグノーシスを啓示された代表的人物とした。グノーシス派は女性にも教師の資格を認めており、マグダラのマリアの権威はペテロら使徒を上回っていた。(グノーシス主義の「ピリポによる福音書」や「マリアによる福音書」では、イエスは生前よりマリアを愛し、復活し最初に彼女に現れ、彼女にだけ特別なグノーシスを与えたとしている。)
これに対し、使徒達の信仰を継承する「正統派」は、男性本位のユダヤ教伝統と、家父長制ローマ社会制度の枠の中で、女性聖職者を認めなかった。だから、その根拠となるマグダラのマリアの権威を極力排除しようとした。その傾向はすでに牧会書簡(テモテⅠ&Ⅱ、テトス)にもあるが、2世紀以降の正統派はグノーシス派との論争で、マグダラのマリアへの顕現や啓示を極力排除した。
➋のグノーシス主義の問題はともかく、❶の古代的な男性尊重は「男も女もない」信仰の場において見直されるべきだろう。
(4)復活顕現の期間
使徒行伝1:3節に「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」とあるが、復活顕現が昇天までの「四十日」に限られると考える事はできない。パウロに顕現されたのは約3年後である。またこのような四次元的・霊的出来事を、暦日内に限って計算するのは適切ではない。この「四十日」は「荒野の40年」とか「40日の断食」のように、ある状態に整えるための期間(この場合、「神の国について話し」弟子達を使徒として整える期間)と考えるべきであろう。復活者自ら、福音を告知する準備を整えられたのである。
今日はここまで。次回から、いよいよ使徒達の伝道開始を取り上げる。