家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

ガリラヤでの復活者イエスの顕現、奇跡的大漁

2022年7月10日

テキスト:ヨハネ伝21:1~8

讃美歌:361&494

                                            
                          C.付加部分ーガリラヤでの復活顕現
                                            
 前回でヨハネ伝本体部分を読み終えた。キリスト教ヘレニズム世界に次第に浸透して行く中で、パウロの手紙はじめ色々のキリスト教文書が生み出され流布していった。その中で共観福音書は、ペテロ等の使徒系伝承がまとめられたものである。一方、使徒達が次々と世を去る中で高齢に達するまで生き残った長老ヨハネは、イエス直弟子の最後の一人としてそのイエス伝承の豊かさと優れた解釈が尊ばれ、ヨハネ福音書にまとめられた。著作の目的は読者が「エスは神の子メシアであると信じる為」である。

 メシアは人間を救済するために神から派遣された<人間>であるから、それは、イエスを<メシア=人間>であると同時に<神の子=子なる神>と信じる事である。イエスの神性を強調し、彼を人間の救主となるために人間となって世に到来されたとして信仰する事を目的とする。また、そう「信じて」「エスの名により命を受けるためである」。読者が、イエスの十字架上の死を、自分の罪の肉における代理的死として受け入れ、聖霊として注がれる復活者イエスの命を新しい自分の命として生きる。読者もトマスと共に、イエスに人間に近づき来たった慈しみ深く真実なる神を認識し、「わが主、わが神」と告白するようになること、これがヨハネ伝の目的であり意図である。

 このように霊的な福音書を生み出したことは,ヨハネ共同体の大きな成果であり、イエスを神と告白することにおいて完全にユダヤ教からの独立を果たしたのであった。だが、神学的霊的に深めようとする努力から、人間的宗教性や哲学に影響されて異端に逸れる危険性もある。ヨハネ共同体の中にグノーシス主義的な異端が発生し、集まりから分離していった。このような信仰的混乱を避け、正統的信仰の一致を保つために、ヨハネ共同体は使徒系教会と合同する決断をしたのである。
 この合同は、組織的には使徒系教会に吸収合併される形であったが、ヨハネ共同体の持つ豊富なイエス伝承と優れた解釈の伝統も十分に尊重された。その経緯を示するために、既に完成していたヨハネ福音書に追加して21章が加えられた。
 現在も沢山の宗教があり、キリスト教内部も、カトリック、オーソドックス(ロシア正教)、プロテスタント各派、無教会その他、いくつにも分裂している。だが、このような分裂はやがて過ぎ去るものである。「それ我らの知るところ全からず、我らの予言も全からず、全き者の来たらん時は全からぬ者すたらん」(Ⅰコリント13:9~10、交読文45)とある。
 主は「わたしにはこの囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かねばならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(ヨハネ10:16)と言われた。私達は、それぞれ自分の信じる主に従う道を歩まねばならない。だが同時に、主の語られた「遂に一つの群れ一人の牧者となる」事を堅く信じ、祈り求めていかねばならない。
 今回から21章の文章に即して読んでいく。難しい箇所ではあるが、私たちなりに読み進めたい。
(3)ガリラヤでの復活者イエスの顕現(21:1~14)
 この部分は、ルカ5:1~11の記事と並行している。研究者たちは、ヨハネ伝21章の方が元の伝承に近い形であるとする。本来は復活顕現伝承であったものを、ルカ伝はイエスの復活顕現をエルサレムに限っているので、ガリラヤ宣教の時期の出来事として取り入れたとされる。私達には、復活顕現の場所がエルサレムガリラヤかは、それほど大きな問題とは感じられない。その顕現証言が何を語っているかが問題ではないだろうか。
 これは私の想像であるが、ペテロは主を否認した後、最後の晩餐の家に戻らずに故郷の自宅に帰ったのではないだろうか。ペテロ一家には妻の母(姑)がいたほか、アンデレ以外の兄弟や雇い人もいる大所帯だったであろう。彼は一家の主人であったが、家業を家族らに委ねてイエスに従って行ったのである。だが帰れば、彼を待っていた家族から直ちに漁の指揮をとることを期待されたであろう。安息日が終わる十字架から三日目の夜、ペテロは家の男達を率いて漁にでた。だが成果は上がらず不漁であった。夜明け近く、漁を打ち切って陸近くまで戻ってくると、浜辺に人影があり、もう一度投網するように言う。それに従って網を打つと、驚くべき大漁があった。この出来事に、その人影を復活のイエスと気づいたペテロは、魚も船も家族も打ち捨て、海に飛び込み、イエスの元にいって罪を告白した。「主よ、私から離れて下さい。私は罪深い者だからです」とは、その時のペテロの言葉ではないだろうか。
 以上が私が想像する、外面的事実である。だが21章の記述は、実際に起きた外面的事件の報告ではない。このガリラヤでの顕現伝承を用いて、ヨハネ共同体と使徒系教会が合同に至った経緯を物語っているのである。
a.奇跡的大漁と、居合わせた弟子たち
 1節「その後イエスは、ティベリアスの海辺で、再び弟子達にご自身を現わされた」。「その後」とあるのは、弟子達へのエルサレム顕現の後でという意味である。ガリラヤ顕現伝承は、最初期キリスト教全体に広く語り伝えられており、それを取り入れて使徒系教会との一致を示す場面とした。「ティベリアスの海」は、6:1では「ガリラヤの海、すなわちティベリアスの海」と注釈されているが、21章を付加した時期はユダヤ教との分離が進み、異邦人読者だけを対象としているからユダヤ人の用いる「ガリラヤの海」という言葉を付加する必要がなかったのである。
 居合わせていたのは次の弟子達である。シモン・ペテロ、ディデュモスと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子ら(ヤコブヨハネ)、それに他の弟子たち二人。この「他の弟子たち二人」に愛弟子が含まれるとすれば合計7人、含まれなければ8人である。弟子筆頭のシモン・ペテロは当然として、ヨハネ共同体に近いトマスとナタナエル、それに使徒系教会の代表としてゼベダイ兄弟が揃って登場し、二つの組織を代表する者達が顔をそろえている。
 シモンの漁に、漁夫ではないその他の弟子達がついて行くというのは不自然である。漁の足手まといになるに決まっている。だが、これは「人間を漁る」漁、すなわち福音宣教を意味している。しかし、夜を徹して働いても何の成果もなく「その夜は何も獲れなかった」。不漁であったとは、それぞれ人間的な分裂や挫折に遭遇し思うような成果が上げられなかったと事を暗示している。分派や分離対立に苦しんだのはヨハネ共同体だけではない。使徒系教会も最初期から対立や争いに苦しんできた。パウロが割礼問題で戦ったユダヤ教キリスト教と律法から自由な異邦人系キリスト教との対立や、有力教会同士の勢力争い、その他コリント書にある「わたしはアポロに、わたしはパウロに、わたしはキリストに…ケパに」等の個人崇拝など、様々の諸教会の問題があった(そして今に至るもそうである)。
 失望した彼ら(使徒・伝道者達)が夜明けに漁を切り上げ岸近く戻ってくると、朝の光の中にイエスが立っておられた。だが、彼らはそれがイエスとは気づかなかった。声が届く距離であったから、イエスはパンに添えて食べる副食(おかず、ふつうは魚)があるかと尋ねられた。何もないと答えると、イエスは「船の右側に網を投げなさい。そうすれば獲れる」と言われた。期待せずその通りにすると、「魚が多くて、網を引き上げることができなかった」ほどの大漁である。(ルカ伝では「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(5:4)となっており、それと比べ、漁の仕方、陸からの距離などより具体的で、伝承の原型に近い記述である)。この驚くべき大漁は、人間的対立や紛争があるにもかかわらず、キリスト教が当時の世界に急激に広がっていったことを示している。
 この奇跡的大漁により、愛弟子がイエスに気づいて、ペテロに「主だ」と告げた。愛弟子が登場する場面は、大概ペテロとペアであり、しかもペテロ以上に優れた主の証人として描かれている(最後の晩餐で裏切り者を教えられたり、空虚な墓を見て信じたとか)。この場面もそうである。だが、それを聞いて船(教会)も人(宣教者)も魚(信徒達)も全て打ち捨て、上着を着て海に飛び込む常軌を逸した行動でイエスの元に急いだのは、ペテロであった。彼は、イエスを否認した罪をまず告白し懺悔しようとしたのである。ここが大変重要な胸を打つ場面である。今日はここまでとする。