家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

ガリラヤ湖畔での復活のイエスとの会食

2022年7月24日

テキスト:ヨハネ伝21:9~14

讃美歌:213&183
                                            
                          C.付加部分ーガリラヤでの復活顕現
                                            
(3)ガリラヤでの復活者イエスの顕現(21:1~14)
 前回は、夜中働いても不漁だった弟子達が、夜明けに岸近くまで戻ってくると、浜辺にイエスがたっておられた事、だが彼らがイエスと気づかないまま、イエスに指示された通りに船の右側に網を打つと奇跡的大漁であった事、愛弟子がイエスに気づきペテロに「主だ!」と告げると、ペテロは上着を着て海に飛び込みイエスの元に向かった事、を読んだ。
 ペテロが直ちに上着を着たのは、主にお会いするのに裸であってはならないからであり、海に飛び込んで泳いでイエスの元に近づいたのは、一刻も早くと急ぐ為であるが、ひれ伏して罪を懺悔しようとするのに乗り物(船)に乗って近づく無礼を犯せないからである(モーセも、燃える柴に近づく時「履き物をぬぎなさい。ここは聖なる地であるから」といわれた。日本の寺社でも聖域入り口には車馬から降りるよう注意書きがある。世界共通の感覚であろう)。それ程までに卑下しつつも、イエスを慕いお側に近づかずにおれないペテロの心情が窺われる。
b.復活のイエスとの会食
  8節「他の弟子達は網を引いて船で上陸した。僅か二百ペキス(90メートル、1ペキス=45センチ)ほどの距離にいたからである」。ペテロは彼らより先に上陸しただろうが、時間的差は殆どなかったであろう。イエスとペテロの二人だけの場面は描写されていない。
 9節「上陸すると、既に炭火が用意されていて、上に魚がおいてあり、パンもあるのを彼ら(ペテロも他の弟子達も)は見る(現在形)」。これは、イエスが既に会食の用意をしておいて下さったということである。炭火の上に置かれていた「」は五千人への供食の場面(6:9)と同じ、干物や塩づけに加工した魚で、弁当用のパンの「おかず」つまり携帯食であり、5節の「何か食べるもの(生魚)」とは異なる用語である。この言葉(携帯食の「」)を用いることで、かつて5個のパンと2匹の「」で5千人を養われた奇跡が想起される。そのように、この世の旅路の糧食が、今も主によって用意されていることを、過去形ではない現在形で示されている。
 10・11節「エスは彼らに言われる(現在形)、『今とってきた魚の中から,何匹か持って来なさい』。シモン・ペテロが船に乗り込んで、網を引き上げると153匹の大きな魚でいっぱいであった。そんなに多かったが、網は裂けていなかった」。
 6節で「魚が多くて、もはや網を引き上げることができなかった」とあるのに、ペテロがたった一人で網を引き上げたと言うのも、普通はあり得ないことである。しかも、主を否認し、自ら弟子たるの資格なしと弟子集団を離れたペテロが、再び船(教会を意味する)に乗り込み、単独で網を引き上げるとは、主が彼を赦し、改めて「人間を漁る漁師」たる使徒に召された事(ルカ5:10)を示している。魚の数を153匹とするのは、古代に好んで用いられた数による象徴である。一種の完全数で(例えば世界中の民族の数の総数だとか、地中海の魚の種類が153種だとか)、要するに全世界の人々を主のもとへと集める事を意味する。この描写において、既にペテロの教会統治権ヨハネ伝付加部分の著者が認めていたことが類推される。
 「そんなに多かったが、網は裂けていなかった」とは、別々に活動してきた二つの組織(ヨハネ共同体と使徒系教会)が合同するに際し、脱落・分離する者がなかったということである。(網が)<裂ける>という語の名詞形「スキマ」は、教会分裂に用いられる用語である。異端の発生に対し、両組織が団結してこれに対抗し正統的信仰において一致したことが示されている。
 網から取り出した魚を炭火に置いたかどうか具体的な事はなにも語られない。これがガリラヤ湖でのペテロへの顕現という事件を素材とする、象徴的情景であるからである。
 12節、イエスが「さあ来て朝の食事をしなさい」と弟子達に呼びかけられる。自分達を呼び集め、人間的挫折や対立があるにも関わらず奇跡的な宣教の成果を上げさせ、自ら備え給うた霊的糧によって宣教者達を養い力づけ給うお方が誰であるか、もはや誰も問う者はいない。自分達の牧者、羊飼いの羊飼いである方だという事を、全員がわかっていたからである。羊はその牧者の声を聞き分けるのである。ヨハネ共同体も使徒系教会も、またユダヤ教キリスト者もヘレニスト系キリスト者も、全員、同じ主の羊達であり、「主は一つ、御霊は一つ」であることを認めて「一つの身体」となったのである。この場面に漂う、緊張した荘厳な雰囲気は、異端の発生や信仰的混乱で動揺するこの時期、改めて「主にあって、一つの身体」であることを自覚し合同を決意した信仰者達の感動と緊張感を反映している。なお、ヨハネ共同体はサクラメントを用いなかった可能性があると言われているが、合同に際しそれを記念する聖餐式を共に行っただろうとされている。その場合、ヨハネ共同体の人々もこのように深く霊的に、主の備え給うた聖餐(主の血と肉)を受けたであろう。主に呼び集められた者達が、主の食卓で共に養われ一つの身体になること、これが合同の趣旨である。
 13節「エスは来て、パンを取り、彼らに与えられる。そして魚も同じようにされる」。既にその場にいるイエスがわざわざ「来て」というのは、聖餐が行われる場において主が聖霊として臨在され、信仰者に自ら糧を分け与えられる事を示している。現在においても、主の名のもとに集う場に、主は必ず臨在し給う。従って過去形でなく現在形で語られている。
 14節「エスが死者の中から起こされて、弟子達に現れたのは、これでもう三度目になる」。ヨハネ伝本体部分の記述では、①マグダラのマリアへの顕現、②その日の夕方のトマス不在の弟子達への顕現、③それから8日語のトマスと弟子達への顕現、と既に三回の顕現が記述されているが、マグダラのマリアへの顕現は数えられていない。女性の証言は証拠能力なしとするだけでなく、二人以上の証言が合う(複数者の証言)という点からである。何人であろうと、何回であろうと、自ら体験した復活顕現を証言することが、福音宣教の「使徒」たる根拠である。この会食に集っている弟子達は全員、21章が付加された時点で、既に殉教したり、高齢で世を去った「使徒達」である。ヨハネ共同体も、ペテロ系教会も、この同じ食卓でイエスに養われ、同じ復活顕現に接した使徒達全員の証言による(正統的)福音に与っていることを表現している。
c.ペテロへの委託
 15節前半「ところで、彼らが食事をした時、イエスはペテロに言われる、『ヨハネの子シモンよ、あなたはこの者たち(その場にいた使徒達)以上にわたしを愛するか』。
 ペテロへの呼びかけ「ヨハネの子シモン」は、ユダヤ人としてのフルネームであり、(言わば戸籍上のとも言うべき)正式名称である。だが、新約聖書中この名が出てくるのは、イエスが彼に「ペテロ」という呼び名をつけられた箇所(ヨハネ伝1:42)とここでの三回の呼びかけだけである。これは、「ペテロ=石・岩」として教会の土台とされたというマタイ伝等の記述に対し、ヨハネ伝10章の「よき羊飼い」の継承者(この後の対話で、羊を養い導く使命が与えられている)としてシモン・ペテロを意義付ける意図からであろう。(なお、マタイ伝に出てくる「バルヨナ・シモン」という名は、同様に「ヨナ(ヨハネの短縮形)の子シモン」の意味である)。
  「この者たち以上に」という言葉は、その場にいた使徒達全員がこの対話の証人であり、ペテロを教会の土台とするとのイエスの言葉を、直弟子全員が証言していることを意味している。
 ペテロが弟子中誰よりもイエスを敬愛することは、地上のイエス生前から自他共に認める事であった。彼は、最後の晩餐の席で心から「あなたの為には命も捨てます」(ヨハネ13:37)とイエスに語ったのだった。だがその舌の根も乾かぬその夜、三度もイエスを否認してしまった。ペテロは、自分にイエスの弟子たる資格なしと絶望し、逃げ出したのである。復活のイエスに再会できるのなら、何よりもまず、この裏切りの罪を告白し懺悔せねばならない。海に飛び込んでイエスの元に急いだのは、自分の弱さと罪を告白し詫びるためであった。ここに、彼とイエスの関係は無私の愛情(アガペー)が前提となっていた事が示される。それが彼を自ずから弟子達(使徒達)の筆頭とし、彼らを率いる地位の根拠だったのだろう。神への愛は、なにか目的あっての為ではならない。自分や世界の<救い>の為にではなく、ただ純粋に「心を尽くし,精神を尽くし,思いを尽くして」敬愛すべきである(十戒第一戒)。ヨブは自分に幸いを与え給う時もそれを取り去り苦難を与えるられる時も、同じように「主与え,主とり給う。主の御名は褒むべきかな」と言って神を讃美した。私達の主イエスは、御自分を捨て給う父なる神の御意志に従い給うたのである。ペテロはイエスを、少なくともそれに近い無私の心で敬慕信仰していると思っていた。三度の否認は、その自負を根底から打ち砕いたのである。

 続きは次回とする。