家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

ペテロへの委託、福音書全体の結び

2022年8月21日

テキスト:ヨハネ伝21:15~25

讃美歌:320、513
                                            
                          C.付加部分ーガリラヤでの復活顕現
                                            
 前回は、ガリラヤ湖畔での復活のイエス顕現と、彼が自ら備え、弟子達を招き寄せて彼らを養い給う「主の食卓」の交わりについて学んだ。その場面に漂う緊張した厳粛な雰囲気は、弟子達相互の対立や論争を乗り越えて、一つである「キリストの身体」とされる事への自覚と緊張、すなわち合同に至る主の導きに対する畏敬と従順の気持ちを示しているのであろう。
 最後に、他の弟子達の面前でイエスがペテロに呼びかけられた15節前半部分も取り上げた。これは、(合同した)普遍的教会における使徒ペテロの指導的立場を示すものであるから、次の段落に含めた方が良いかも知れない。
(4)ペテロへの委託(21:15~23)
a.三度のイエスへの愛の告白
 前回、15節前半のイエスの呼びかけ部分を取り上げ、「この者たち以上に」という言葉をイエス直弟子全員が普遍的教会におけるペテロの指導的立場を認め証言するもの、と解釈した。だが、それと同時にヨハネ伝10章の「よき羊飼い」の継承者として、他の使徒達以上の覚悟(殉教)をイエスがペテロに求められたという事も重要であろう。
 使徒系教会は、草創期のエルサレム教会時代から既に(異邦人教会も含め)貧民や孤児・病人等への扶助を課題とし、組織的に取り組んできた。その結果、当時の下層階級を中心に爆発的な広がりを見せた。抑圧された下層民達の暴動を極度に恐れるローマ帝国当局が、教会組織に警戒感を強めたことは容易に推測できる。従ってペテロは、この治安を乱し(ローマに火をはなった)邪教の首魁として、首都ローマで叛徒に対する極刑である十字架刑に処せられた。それは、映画にもなった小説「クォ・ヴァディス」にも描かれている。しかも、主イエスと同じ形で十字架につけられるのは畏れ多いとして、自ら頭を下にした逆さづり十字架を希望したという。まさに、正視するに忍びない無残な刑死である。他の使徒達も殉教しているが、パウロはローマの市民権をもっていたから十字架刑ではなく斬首であり、使徒ヤコブや主の兄弟ヤコブも斬首だったようだ。従って、ペテロだけが主イエスと同じ十字架刑で死んだ。これは、当時の全世界に深い印象を与えたのである。
 だが、ペテロにはそれ以上に有名な「三度の否認」という主を裏切った逸話がある。これがどうやって赦され、他の使徒を凌ぐ大きな任務を与えられたかを示すのがこの段落である。
 15節後半、ペテロは「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」とイエスの問いかけに答える。かつて彼は、最後の晩餐の席で「あなたの為なら命も捨てます」と言い切ったのであった。だが、主を否認してしまった以後は自ら確信して断言することはできない。彼のイエスへの愛は、イエスが彼を選び召し給う愛(アガペー)の微かな反映にしか過ぎず、イエスの愛に支えられたものであった事を悟ったからである。イエスが「愛するか?」とアガペーの語で問いかけられたのに対し、ペテロは身近な者に対する一般的愛の用語「フィレオー」で答えている。「私のあなたへの愛は、あなた御自身が与えて下さったものであり、あなたが支えて下さるのです」ということを「あなたがご存じです」という回答に籠めたのである。イエスは彼に「私の小羊たち(貧民・弱い信仰者達)を養いなさい」と言われた。
 ところが、イエスはまたもやシモンに、御自分を愛するか否かを厳粛な言葉で問われた。シモンも前回と全く同じ言葉でお答えした。するとイエスは「私の群れ(教会)を牧しなさい」と彼に言われた。「牧する」とは、羊の群れを水場や牧草地に導く事であり、教会全体の指導を委ねられた事を意味している。
 そしてまた三度目に彼に言われた。「ヨハネの子シモン、あなたは私を愛するか?」。この三度目の「愛するか?」は、アガペーではなく「フィレオー」が用いられている。既にシモンを赦し、御自分なき後、教会の群れの牧者となり、また御自分と同じ形で殉教することを認めておられるのである。シモンは三度も尋ねられ、必死になって「主よ、あなたは全てを(私の全ても)ご存じです。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」答えた。イエスは「私の群れを養い牧しなさい」と言われた。すなわち教会に依存する弱者もその指導者達も全て含め、教会の指導を委ねられた。
 三度繰り返して言う事は、徹底的に言う事である。シモンが三度、徹底的にイエスを裏切った否認に応じ、それを克服し立ち返らせる赦しを与える為に、主は三度の愛の告白を彼にさせ給うたのである。主が教会の指導を委ねられたのは、このように、自分に絶望し主イエスに全てを委ねきったシモン・ペテロに対してである。彼は、生前のイエスに叱責されまくった。また復活後のエルサレム教団においても主の兄弟ヤコブほかユダヤ教キリスト者に指導的立場を譲った。そして異邦人の使徒パウロからもあえて面責を受けた。この使徒は、決して自分の権威を示そうとはしない。ただ主イエスの権威と力に自分と教会を委ねきったのである。
b.ペテロ殉教の予告
 18節はペテロ殉教の予告である。アーメンを繰り返す荘重な言葉で、彼がイエスと同じ形で殉教することが予告される。他人に帯を締めて貰う際には、邪魔にならないよう両手を上げる。すなわち、他者に引きずられて拘束され、横木に両手を打ち付けられる十字架での殉教が予告された。
 19節「…、彼がどのような死に方で神の栄光を現すかを示す為であった」。イエスが十字架に死んで「神の栄光を現」されたように、ペテロもその非業の殉教死によって全世界に「神の栄光を現した」と、著者は述べる。事実、ペテロの死は全世界の人々に深い印象を残したのであった。19節後半の主の言葉「私に従ってきなさい」は、ペテロに御自分と同じ姿(十字架)で神の栄光の為に命を捧げる覚悟を求められた、ということである。
c.ペテロと愛弟子
 (殉教への道を主に従って進む)ペテロが振り返ると、愛弟子がついてくるのが見えた。愛弟子は貧困層・弱者への援助を組織せず、また殉教を免れ天寿を全うし、ペテロとは違った仕方で主に従っている。著者はペテロの口を借りて「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と、尋ねさせる。これは、主の再臨が近いという期待が当時非常に高まっており、長老ヨハネが長命だから、彼は主の再臨まで死なないという奇っ怪な噂がたったためである。彼が死んだのだから主の再臨は既にきた等の信仰的に間違った考え(異端)が一部にあった。徴を求めて、神が示そうとされる以上のことを知ろうとするのは不信仰そのものである。人は神のご計画を全て知ることはできない。ただ自分に示された神の御意志に一心に従う以外にはない。主が示される道は一つではない。主は、人それぞれに御自分に従う道を示される。だから主は彼に「…それがあなたに何の関わりがあろうか。あなたは(自分に示された主に従う道で)わたしに従ってきなさい」と言われた。
 これはそのまま現在の私達への言葉である。私達は、私達を招き導き給う主の御声を聴いたならば、ほかの人がどうあろうとも自分は一心にその声に従って進んで行かねばならない。「例え死の影の谷を歩むとも、災いを恐れじ」との詩篇23編の言葉は、そうして主に信頼し従う者達の言葉であり、死の影の谷と見えて、それは「多くの泉あるところ」となったという彼らの体験から生まれた信頼と感謝の歌である。僅かな間の私達の人生である。私達の為に死に、そして勝利して下さった主に信頼し、感謝しつつこの世の旅路を歩んで行きたい。
(5)結び(21:24~25)
 この箇所は付加部分と同時に現在の形のヨハネ伝全体の結びである。まず、これが愛弟子=長老ヨハネの伝承に基づくものである事を明らかにし、ヨハネ共同体自身が彼の証言が真実であると知っていると証言する。
 次に、「世界もその文書を収めきれない」との言葉は、イエス伝承とその解釈は時代と場所と人によって絶えず新しく語りかけるという豊かさを表現したものである。だが、この言葉尻を捉え、真実ではない伝承が(異端により)イエス使徒の伝承と偽って流布しかねない危険も発生する。それを排除し、正しい伝承をあきらかにするために、新約聖書正典の編纂が始まるのである。

★今回でヨハネによる福音書を一応読了した。9月からコリント書を読んでいきたい。

今まで取り上げたロマ書やヘブル書は、主にユダヤキリスト者を読者に予想して書かれたものである。だが、コリント書は主に異邦人キリスト者(異教からの改宗者)を対象としている。当時のヘレニズム世界は、様々な異教と人間的な悟りに近い哲学、神秘主義的熱狂主義などが蔓延していた。それは現在の私達の状況に似ている。様々の思想や科学、輪廻転生を信じる伝統的世界観、悟りを求める宗教や、迷信的や風水などの占いなど、キリスト教を信じていながら、私達もいつの間にか影響を受けずにおられない。コリントの教会が直面した様々の問題は、私達にも共通する部分がある。この書をよみつつ、様々の角度からイエスの十字架と復活の福音を学んでいきたい。