家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

裏切りの予告

2021年8月29日

テキスト:ヨハネ伝13:21~30

讃美歌:333&494

      B.救済者の天への帰還(13:1~20:31)
 
1.弟子達への告別説教(13:1~17:26)
13章(最後の晩餐、洗足と弟子の裏切りの予告)
 前回、「最後の晩餐」が「過越の食事」であったかどうかを取り上げた。日没を一日の始まりとするユダヤ歴を基準として、イエスが「最後の晩餐」をされた同じ日の昼過ぎに息を引き取られ、日没前に墓に葬られたと、全福音書が報告している。だが、ヨハネ伝だけは、その日が過越祭当日ではなく、一日前の過越祭の準備の日(過越の羔羊を屠る日=ニサンの月の14日)だったとする。つまり、ヨハネ伝はイエスを「世の罪を取り除く神の羔羊」として、過越の羔羊を屠る日その日に死なれたとするのである。どちらが正確かは分からない。
 だが、「最後の晩餐」が①わざわざ逮捕の危険のあるエルサレム市内で行われたこと、及び②過越の儀式に倣って「聖餐制定」をされたことを考えると、「過越の食事」であった可能性が高い。
 「最後の晩餐」が「過越の食事」でなかったとするヨハネ伝は、聖餐制定に代えて「洗足の奉仕」を報告する。イエスの十字架の贖罪を、犠牲動物とは違ってイエス御自身の意志による自発的な愛の奉仕として描き、それを受ける者でなければ「わたし(イエス)との関わりにおいて何の分も持たない」とする。つまりイエスの洗足の奉仕を、イエスの血による贖いの象徴とし、洗足を受ける事を、イエスの贖いを受け入れ罪を浄められることの象徴としたのである。
 また、「師であり主」であるイエスが、奴隷のように弟子達の足を洗ったからには、弟子達も「互いに足を洗い合いなさい」と言われ、弟子達の奉仕の模範を示された。これは、キリスト者が互いに罪を赦し合い、仕え合うべき奉仕を意味するが、特に弟子達の福音宣教の業が、イエスの示されたような献身的奉仕であることを示している。「師に勝る者ではない」弟子達、つまり使徒達・伝道者達は、自分を「イエス・キリストの僕(奴隷)」とし、福音を宣べ伝える為に血を流すことも厭わなかった。生まれながらの人間には不可能なそのような業を、高挙のイエスから派遣された聖霊が彼らを変えて行わしめたのである。私達は、彼らのそのような「働き」の実である。
 また、詩篇41:10を預言として示し、御自分が信頼した者に裏切られる「事が起こった時」、信仰を失わないよう励まされた。そして、「わたしの遣わす者を受け入れる」者は、イエスとイエスを遣わされた神を受け入れるのであるとして、御自分の権威を弟子達の宣教に授けられた。
(3)裏切りの予告(13:21~30)
 このように、イエスは御自分が世を去った後の弟子達を愛し心遣いされた。だが、そのうちの一人に裏切られ、残りの弟子達は散らされることを思い、激しく心を動かされて言われた。「アーメン、アーメン、わたしは言う。あなた方の一人がわたしを引き渡そうとしている」。
 これを聞いて驚いた弟子達は、裏切るのは誰だとお互いに顔を見合わせた。この有様をレオナルド・ダ・ビンチが「最後の晩餐」の名画に描いている。だがこの絵は、正式な横たわった姿勢で行われたこの食事を、誤って椅子席として描き、後代に間違ったイメージを与えている。左を下に横たわっているからこそ、右隣にいた愛弟子(若い日の長老ヨハネ)がイエスの胸近く寄りかかって「それは(裏切るのは)誰ですか」と密かに尋ねることができたのである。椅子席でそんなことをしたら椅子から転げ落ちてしまう。またそれは、彼が食事の主催者席におられたイエスの次席を占めていたことを示す。この食事の場所を提供したのが、エルサレム住民である愛弟子だったからかも知れない。ペテロに合図で指示され質問した彼は、イエスの御顔近く、お互いにしか聞こえない位置で「わたしがパンを浸して与える人」というイエスの答えを聞いた。だから彼だけが、その他の弟子達がイエス捕縛まで分からなかったユダの裏切りを、あらかじめ知ったことになる。これ以後「愛弟子」は、空虚な墓やガリラヤ湖での復活顕現の場面でもペテロと絡んで登場し、ペトロより先に信じたり、顕現されたイエスを最初に気づいたりしている。つまり、教会指導におけるペテロの権威を認めつつ、鋭敏に福音を解明し、また独自のイエス伝承を伝えた長老ヨハネを、ペテロら使徒に次ぐ、あるいはそれと並ぶ指導者・権威として描いているのである。
 長老ヨハネは、原始教会がエルサレムを脱出した後まで祭司としてエルサレムに留まり、ユダヤ戦争直前に仲間達と脱出してサマリア伝道を行い、最終的にエペソに定住したとされている。だから彼を中心とするヨハネ共同体も、ペテロら使徒系教会とは別に独立した宣教活動をしてきた歴史がある。彼らはユダヤ教伝統だけでなく当時のヘレニズム的教養・文化にも通じた知識人階級が多く、それらの思想が浸透した地域に応じて福音を宣教したであろう。ところが、彼らの中から、ヘレニズム的な霊魂不滅思想(肉体を否定的に捉えた)に影響されたグノーシス主義分派が発生した。長老ヨハネ亡き後、ヨハネ共同体は信徒集団的な緩やかな集団指導体制をとっていた。だが、異端的分派と戦い、正しい福音を明らかにするためには、使徒の権威に基づいてより強い指導体制を持つ使徒系教会と一致団結する必要があった。そして、使徒系教会に吸収される形で合同していったのである。だが、合同後の教会もヨハネ共同体の持つイエス伝承の豊かさと霊性を尊重し、ヨハネ文書を大切に受け継ぎ伝えた。
 世界伝道する中で福音は、異質な世界観や文化(当時にあってはヘレニズム的思想など)と出会う。また、その時代の政治や社会的状況に対応していかねばならない。その中で、ルターがヴィッテンベルク城に95箇条を打ち付けたように、常に福音を正しく新しく聴く信仰的・神学的努力が必要なのである。聖霊の自由な導きの下に、教会はこうして絶えず改革されつつ進んで行く。
 最後の晩餐の場面に戻ろう。共観福音書の平行記事も参照すると、「同じ鉢にパンを浸して食べる」ほど身近な者から裏切られる、とイエスが予告された事は確かである。少なくとも裏切る本人(ユダ)には、自分が裏切ろうとしていることをイエスが知っておられると、ハッキリ分かったであろう。そのユダに、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言われた。ユダにとってそれは、お前の決心に従って行動せよ、とイエスに促されたことになる。だから、直ちに立ち上がって行動に移った。イエスがこう言われたのは、御自分の受難・贖罪が、他者から強いられた偶発的なものではなく、自ら進んで神の御意志に従うことを示すためである。虚無の力としての死に憤り、ラザロを甦らせた方が、父への愛において自ら御自分の生命を神に献げ給うのである。死者は自らの力で生に立ち返る事はできない。イエスは、御自分の生命を父に委ね、「無から有を創造される」真実なる神への信仰を貫きかれた。
 その場の残りの弟子達は、そうとは知らず、一行の会計係であったユダに、過越祭に必要な支出をイエスが指示されたものと思った。ユダは、十二弟子の中で特に実務に有能であり、こうした仕事を日頃から任されていたからである。
 ユダの裏切りの動機は何だったのだろう。唯の報酬目当の筈はない。彼は、使徒に選ばれたほどの者であり、エルサレム上京に際しては、トマスと同様、決死の覚悟でイエスに従ったのである。しかし実務に聡い彼は、イエスが地上で権力を掌握するつもりがない事をいち早く悟ったのではないか。エルサレム入城しても政権を樹立しようとしないイエスに失望し(エマオの弟子達もこれを期待したと復活のイエスに語っている)、それがイエスをローマに引き渡す行動に走らせたのだろうか。そうなればイエスはローマに対抗し天の軍団を呼び寄せるなどして決起し、「神の支配=神の国」を樹立されると思ったのだろうか。「神の国」への熱望といえども、それは自分の考えるものであって、神がもたらそうとされるものではない。自分の熱望=我欲を神に押しつけようとすることは、神を愛するのではなく神を利用しようとする御利益信仰=不信仰である。
 こうしたユダの、イエスに従う事への人間的な心の迷い=不信仰を、サタンが捉えた。闇の力が彼を支配し、神のご計画に従って彼を用いたのである。彼にとって、時は「夜であった」。
 自分を死に引き渡そうとする神の御意志に戦きつつ、神への愛によって御自分を神に献げるイエスのお姿が、聖なる神の御子としてくっきりと浮かび上がってくる。
 こうして、イエスの十字架への道が後戻りできない形で開始した。