家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

最後の晩餐と洗足の教え

2021年8月15日

テキスト:ヨハネ伝13:1~20

讃美歌:388&235

       A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)
3.ユダヤ人との戦いと世に対する勝利(5:1~12:50)
(10)前半部分の使信の要約(12:37~50)
 前回は、イエスの宣教活動のまとめとして、「これ程多くの徴を見てもユダヤ人達はイエスを信じなかった」事は、「神は、彼らの目をみえなくし、その心を頑なにされた」というイザヤの預言の実現である事を取り上げた。それは、神がイスラエルユダヤ人達)を捨てられたからではなく、人間の不義を前提とした「義ならざる者を義とする」神の「不思議な驚くべき業=イエス・キリストの福音」を示す「徴」である事を学んだ。イエスの出来事は、預言者イザヤが民に絶望し、神に抱いた希望の実現成就であった。ヨハネ伝著者は、神の憐れみにより残された、ユダヤ教団内部に潜む「イスラエルの残りの者=隠れキリシタン」に、信仰を表明するようにと勧めている。
 44節~50節の「イエスの最後の呼びかけ」部分は、イエスは既に群衆から身を隠された後だから、誰に対して語られているか明確でない。前半の要約として後から挿入されたとされている。45節以外は、前半部分にそれぞれ対応箇所があるので、取り上げないが思い出しつつ読んでおきたい。

           B.救済者の天への帰還(13:1~20:31) 
 ヨハネ伝は、序詩(1:1~18)と補遺(21章)を除いた本体部分が前半(1:19~12:50)と後半(13~20章)に分かれる。前半の、救済者の地上での働き部分を読み終えて、今回から、いよいよ後半には入る。後半は、十字架と復活という業を成し遂げた救済者が天に戻られる迄を、①弟子達への告別説教、②受難と復活、の二部に分けて物語っている。
1.弟子達への告別説教(13:1~17:26)
13章(最後の晩餐、洗足と弟子の裏切りの予告)
(1)「最後の晩餐」が「過越の食事」であったかどうかの問題
 本文に入る前に、ヨハネ伝ではイエスの十字架の日付が共観福音書よりも一日早い事を取り上げたい。それは、「最後の晩餐」が過越の食事であったかどうかに結びつく。
 まず、ユダヤの暦は日没が一日の始まりであり、日没と同時に日付がかわる点に注意したい。それに従うと、イエスは最後の晩餐を摂った日に、逮捕・審問・十字架を経て午後3時ごろ息を引き取られ、同日の日没前に墓に葬られたことになる。これは全福音書が一致している。
 だが、共観福音書はイエスが過越の食事(ニサンの月の15日が始まる日没後の食事)をした後に逮捕された。つまり過越祭当日に十字架につけられたとするのに対し、ヨハネ伝は「過越祭の準備の日=過越の羔羊を屠る日=ニサンの月の14日」に十字架につけられたとする。だから、屠られた羔羊を食べる「過越の食事」の時には、すでに墓に葬られていたことになる。これは、イエスを過越の羔羊になぞらえ、「世の罪を取り除く神の羔羊」として強調する立場に良くあっている。
 だが、それでは「最後の晩餐」が「過越の食事」ではない、通常のディナーだったことになり、それでは、①逮捕の危険を冒してわざわざエルサレムで食事をした(過越の食事はエルサレムで摂る決まりとなっていた)意味がない。また、②過越の食事の意味を家長が説き明かすという儀式(出エジプト12:26~27)に倣って、イエスが聖餐制定された重大な意味が無視されている。③通常のディナーは日中の午後3時頃の開始するが、「最後の晩餐」は過越の食事のように日没後に開始し食事の最中に既に夜になってる(13:30参照)。など、不明な点が生じることになる。
 以上から、ヨハネ伝はイエスを「過越の羔羊」と示すため、最後の晩餐の日付を「過越の準備の日=ニサンの月の14日」に当てはめたのではないかと思われる。ヨハネ共同体には祭司階級出身者が多かった(原著者、愛弟子ヨハネも祭司である)から、羔羊を屠る日付にこだわったのであろう。しかし、「最後の晩餐」は重要な宗教的意味をもつ「過越の食事」であったと考えられる。
(2)「最後の晩餐」での洗足(13:1~20)
 1節は、長大な告別説教の序文である。イエスは、過越際の前に、御自分が世に派遣された目的(十字架と復活)を果たし天に帰られる時(これを「わたしの時」と呼んでおられた)が来たことを思われ、御自分の苦難よりもむしろ「御自分の者達=弟子達」が世に残されることを、最後まで思いやられた(愛し通された)。(告別説教等は、彼らのための遺訓である)。だが。「御自分の者達」とはいえ、その中のイスカリオテのユダは既にイエスを裏切る心を決めていたのだが…。
 イエスは食事の席から立ち上がり、上着を脱いで腰に手拭いを巻き、盥に水を入れて弟子達の足を洗い始められた。通常は食事前に奴隷がするべき仕事を、わざわざ食卓に就いてから為されたということは、これが預言的象徴行為(子ロバに乗ってエルサレム入城されたような)であることを示している。シモン・ペテロの順番になると、彼はそれを畏れ多いと辞退した。するとイエスは、「もしわたしがあなたを洗わないならば、あなたはわたしとの関わりにおいて何の分も持たない」と言われた(13:8)。これは、「後になって分かる」ことになるが、イエスが自分の命をもってペテロを清める(贖う)のでなければ、ペテロはイエスの復活の命の中に何の分も持たないと言う意味である。これを聞いたペテロは、それなら足だけでなく手も頭もお願いしますと言った。だがイエスは「沐浴した者は(足のほかは)洗う必要がない。全身が清い。だからあなた方は清い」と言われ、足を洗うことを続けられた。通常のディナーなら、食事前に沐浴する必要がない。だが、宗教的儀式である「過越の食事」の前には、食事前の沐浴が不可欠であった。それ(食事前の沐浴)が前提とされていることは、これが「過越の食事」だったことを示している。イエスの洗足の行為が、イエスの血による贖いを象徴する行為であるなら、イエスの血の清め(贖罪)に与った者は、全身全霊が清い。「足のほかは」を括弧に入れたのは、イエスの洗足が一つ一つの罪科の清めではなく、一回限りの完全な贖罪の象徴行為だからである。しかし、沐浴後に食事の場所まで歩けば、足だけは汚れる。だから、足だけを洗えば、全身が清いことになる。そこで「洗足」が全身の清めを象徴する。それを示すために、「足のほかは」を付け加えたと考えて良いであろう。
 「しかし、皆がそうなのではない」(10節後半)とは、イエスに不満を抱き裏切りの決心をした者(ユダ)は、沐浴し洗足して戴いても、イエスの贖いに与る事を拒否しているのだから浄められないという意味である。(聖餐や洗礼などの)外面的儀式を受けたか否かではなく、イエスに自分を委ねきる心の有無である。ユダの裏切りを知っておられたから、そう言われたのであった。
 聖餐式はイエスの贖いを象徴する。だが、その贖いはイエス自発的な献身であり命を献げての愛の奉仕である。それを強調するため、ヨハネ伝は聖餐制定に代えて洗足の奉仕を描いた。
 洗足が、イエスの贖いの象徴行為であることは「後から分かるようになる」事柄であるが、同時に、主であり師であるイエスが弟子達の足を奴隷のように洗ったことは、相互奉仕の模範でもある。だから、イエスの弟子達は「互いに足を洗い合うべきである」と言われた。これは「あなた方の中で偉くなりたいと思う者は、仕える者となり、…頭となりたいと思う者は、僕とならねばならない」(マタイ20:26~28)という教えと一致する。だが、それは生易しい事ではない。洗足が①贖罪の象徴行為であり、同時に②奉仕の模範であるという「このことが分かり、その通りに実行する」とは、イエスが為されたように、自分の命を献げて相手に仕える、という事である。主が命じておられるのは、そのような「命がけの」(イエスが私達の為に死んでくださったような)献身である。
 そして、御自分が最も信頼した弟子の一人に裏切られ、嘲りの対象とされても(事実、十字架上のイエスは嘲笑された)、弟子達がイエスを「エゴー・エイミー=顕現された神」と信じる信仰を失わない為に、詩篇41:10をメシア預言としてお示しになった。
 イエスが荘重なアーメン言葉で強調する20節の「わたしの遣わす者を受け入れる」とは、イエス昇天後の使徒達(及び私達に福音を伝える伝道者達)、つまり教会の宣教を受け入れる事であり、人間的弱さを持った「土の器」に盛られた福音を、私達が尊び受け入れる事である。