家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

ラザロの蘇生-1

2021年5月2日

テキスト:ヨハネ伝11:1~16

讃美歌:90&348

        A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)

3.ユダヤ人との戦いと世に対する勝利(5:1~12:50)
 前回、神殿奉献記念祭でのユダヤ人達の詰問に対し、彼らがイエスがメシアであると信じられないのは、「わたし(イエス)の羊」ではないからだと答えられた事を学んだ。「良き羊飼い」であるイエスが信仰へと召し出す者達(わたしの羊)は彼の声を聞き分け、彼に従う。イエスと彼ら(わたしの羊)は互いに結びついており、イエスの永遠の生命が彼らの生命となり、彼らは決して滅びない。このように、イエスを通してのみ神の救済の計画が実現される、それが神の御意志であると語られた。ここに語られる「予定説」は、「神の恩寵の選び」の主権性であり、人間の個人的意志や決断を超越した「神の救済の確かさ」であって、悪しき宿命的予定説ではない。
 こうしてイエスの神的権威(先天性盲人の開眼など)が明らかになるにつれ、イエスを抹殺しようとする動きもますます激しくなり、イエスは「ヨルダン川の向こう側」、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた場所に避難され、そこで盛んに活動された。多くの人がイエスを信じ、洗礼者がイエスについて証したことがことごとく本当であったと語った。
(8)復活の生命(11:1~55)
 洗礼者のイエスについての証しといえばまず想起されるのが、「見よ、世の罪を取り除く神の羔羊」(1:29)であろう。イエスが世に来臨されたのは(世の罪を取り除くために)屠られる贖罪の羔羊としてであった。イエスの地上での業の頂点、十字架の死が近づいてきたのある。
 イエスは獄中からの洗礼者の問いに対しが、ご自分の活動を要約し「盲人は見え、跛者(足萎え)は歩き、癩病人は潔められ、聾者(みみしい)はきき、死人は蘇らされ…」と答えられた。これらどの徴=奇跡も、彼が人間を滅び(死)の領域から生へと解放する御方であると指し示すものである。だが、なんと言っても最大の徴は「死者を蘇らせる=死の克服」ではないだろうか。ヨハネ伝前半は、最初にイエスの奇跡を徴として取り上げ、その徴に関わる説話を対話形式で続ける構成となっている。前半を終了させ後半に入る転換点となるのがこの「ラザロの蘇生」、つまり「死の克服」の徴である。
a.ラザロの死(11:1~16)
 ベタニア村はエルサレムから東に3キロ弱、歩いて30~40分ほどの距離にあった。イエス一行は、ここをエルサレムにおける活動の宿泊地とされた(マルコ11:1&11,14:3)。ここの住民のマルタ・マリア姉妹はイエスの信者として初期キリスト教会ではよく知られた人達であり、紹介なしにいきなり登場している。ルカ伝には「なくてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリアはその良い方を選んだ」と語られた姉妹の逸話が残っている(ルカ10:38~42)。だが、ラザロはヨハネ伝にしか登場しない。
 上記の逸話では「マルタという女」が自分の家にエスを迎え入れたとあり、彼女が(男性ではないのに)家長として振る舞っている。また、イエスにも自分から語りかける。だが、マリアがイエスに語りかける言葉はルカ伝にはなく、唯一ヨハネ伝だけであるが、それも姉マルタの言葉の繰り返しでしかない。ラザロに至っては全くない。ここから、マルタが最年長であり、マリアはその妹、そして名目上は一家を代表する男性は、まだ子供のような末っ子のラザロだったと思われる。おそらく早く両親を失い、年長で男勝りのマルタが家業を切り盛りして妹と弟を養育してきたのであろう。家を嗣ぐべきラザロは、一家の希望であり姉たちは彼に愛情を注いで来た。イエスも彼を愛しておられた。このラザロが瀕死の重病に陥った。姉妹達は、「ヨルダン川の向こう側」におられるイエスに使いをやって、彼が瀕死の状態であることを伝えた。ラザロを愛しておられたイエスは、ユダヤ人達に生命を狙われて遠くにおられても、自分達と同じ気持ちで心配して下さる筈だ、という信頼の気持ちが読者に伝わってくる。
 ところがイエスは、この知らせを受けても「この病気は死で終わらない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」(4節)と言われ、直ちに行動しようとはされなかった。「死で終わらない」とは、ラザロが死なないと言う意味ではなく、病気の結末が死ではないという意味である。それは神の栄光が現れるためである。そして、イエスがそれ(ラザロの病気とその結末=蘇生の奇跡)によって「栄光を受ける」ためである。「栄光を受ける」とは、人の子(イエス)がその本来の業「世の罪を取り除く」業を成し遂げることである。事実、ユダヤ教体制側(サンヘドリン)はこの奇跡によりイエス抹殺の具体的な計画を決意する。過越の羔羊の血が、死の天使をイスラエルの民から過ぎ越させたように、イエスの血が、罪に対する刑罰としての死を人間達から過ぎ越させる、その為に、ラザロの病気と死が用いられるのである。
 そして知らせを受けてなお二日、同じ場所に滞在された。ラザロが死んで時間が経過して(イエスは超能力でそれを把握し)、やっと弟子達にユダヤ地方に戻ろうと言われた。弟子達は、生命の危険を冒すことになるからと、引き留めようとした。だが、イエスは「昼間は12時間である。昼のうちに歩けば躓く事はない。この世の光を見ているからだ」以下を言われた(9節)。これは9章4節「わたしを遣わされた方の業を、まだ日があるうちに行わねばならない」と同じで、イエスがまだ地上にいる限られた時間内に、為すべき業を行わねばならない。つまりどうしても弟子達に「徴」を示さねばならないという決意を語られた。著者はそこに続けて、「世の光」イエスに照らされて始めて闇の中にいる人間達の進むべき道がしめされるという説教を付している(10節)。
 そしてその後で「私達の友ラザロが眠ってしまった。しかし、わたしは彼を起こしに行く」とユダヤ行きの目的を告げられた。イエスが死を「眠り」と表現された事は、会堂司ヤイロの娘の蘇生の場面(マルコ5:39)でも記されている。死を眠りと表現することは当時としては、奇異な事であったから、周囲の人はそれをあざ笑った。だが、イエスの復活を経験した初期キリスト者達は、肉における死をイエスに倣って「眠り」と表現するようになった(Ⅰテサロニケ4:13~15、5:10、行伝7:60ほか)。だが、ここでは弟子達も「眠り」を普通に睡眠と受けとった。「起こす」も「甦らせる(エゲイロー)」ではなく、目を覚まさせるという用語が用いられたからである。病苦が軽減してぐっすり眠れるようになったのなら回復するでしょう(だからわざわざ危険を冒して行くことはないでしょう)と答えた。
 そこでイエスはハッキリとラザロが死んだと彼らに告げ、15節「わたしがそこに居合わせなかったことを、わたしはあなた達の為に喜ぶ。あなた達が信じるようになるためである」と言われた。つまりイエスは、ラザロを蘇生させ、弟子達にそれを目撃させてイエスを信じる「手がかり」とする事をもくろまれたのである。そして「さあ、彼の所に行こう」と言われた。
 すると、ディディモ(ギリシャ語で双子)と呼ばれるトマスが、仲間の弟子達に「私達も行って、(イエスと)一緒に死のうではないか」と言った。トマスはアラム語の双子「トーマー」のギリシャ語形である。通称を「双子」(トマス)と称するこの人物の本名は「ユダ」と推定されている。14:22「イスカリオテでないほうのユダ」が登場するからである。共観福音書には名前が挙げられているだけだが(マルコ3:18ほか)、ヨハネ伝はその言行を詳しく伝え、新約聖書外伝にも「トマスによる福音書」がある。ヨハネ共同体と近しい関係があったようだ。
 要するに、ユダヤ人達がイエスの生命を狙っているこの時期に、ユダヤ地方に戻ると言うことは、イエスだけでなく弟子達も生命を落としかねない危険な行動だったのである。トマスは、敬愛する「師」イエスにどこまでも従って行こう、という弟子達一同の覚悟を表明した。またそこには、彼自身の一途で激しい性格があらわれている。
 以上のドラマ前段から、何か今までと違うイエスの非常な緊張感が伝わってくる。それは、ラザロの死が、イエス御自身の死の予徴であり、マルタ・マリア姉妹の悲嘆と動揺はイエスを失った弟子達の悲嘆と動揺と直接的に結びついているからである。羊飼いが打たれた時、羊の群れは散らされる。ラザロを死なせるのはイエスの冷たさではない(イエスは、彼を蘇生させるのだから)。かえって御自分の死が、弟子達を悲嘆と動揺に追いやる事がわかっており、それを気遣うイエスの情愛が、この徴をイエスに決断させた。イエスは、私達の些細な人生の喜びや悲しみに深く共感して下さる「泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ」御方なのである。
 私達の人生は直ぐに過ぎ去る。だがその人生における喜びや悲しみも、イエスは分かって下さる。愛する家族や健康に恵まれた幸いに感謝し、それらを失った人々を思いやりつつ、連休を有意義に楽しく過ごしたい。
 今日はここまでにしたい。