家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

エルサレム入城

2021年6月20日

テキスト:ヨハネ伝12:12~24

讃歌:11&495

      A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)
3.ユダヤ人との戦いと世に対する勝利(5:1~12:50)
 前回は、ベタニアでの塗油を取り上げた。ラザロ蘇生の奇跡により、イエスをメシアと信じる民衆の期待は頂点に達し、熱狂的なものとなっていた。この奇跡によって多くのユダヤ人がサンヘドリンの影響から離反し、イエスを信じるようになっていた。その為、サンヘドリンは奇跡の生き証人ラザロ殺害まで検討していた。
 過越祭のこの時期にあえてエルサレム入りされるイエスは、御自分を信じる者達を罪と死の支配から解放するために、贖罪の死を遂げる覚悟をされていた。そしてベタニアでの塗油を、御自分へのあらかじめの葬りと意義づけられたのであった。 
(9)エルサレム入り(12:1~36)
c.エルサレム入り(12:12~19)
 ベタニアでの塗油があった翌日(過越祭の5日前)、イエスはついにエルサレムに入られた。その年の過越祭は金曜日だったから、この日は日曜日である。教会暦でも、十字架の日の直前日曜日を「棕櫚の聖日」とし、イエスエルサレム入城を記念している。受難週の出来事の日付は、共観福音書ヨハネ伝では違いがあるが、ヨハネ伝の伝承の方がより古く正確な日付とされている。
 過越際に集まって来た群衆は、イエスが来られると聞いて、棕櫚の枝(ナツメヤシ)を振りかざし、イエスを出迎えに出てきて叫ぶ続けた。棕櫚の木は仮庵祭で救いと統一の象徴として用いられる四種の木の一つであり(レビ23:40)、勝利を祝う際に振りかざされた(マカバイⅠ13:51、黙示7:9)。
 叫び声は「ホサナ」であり、詩篇118:25節の「ホーシーアンナー(主よ、私達をお救いください)」が転化して、この時代にはほとんど意味もない「万歳!」という歓呼の声となっていた。そして「主の名において来たるべき方(メシア)」と続き、直ちに「イスラエルの王」と言い換えられている。
 つまり、群衆はイエスイスラエルの政治的王的メシアとして歓迎したのである。イスラエルを異民族支配から解放し、栄光に導く方と期待していたことが分かる。
 民衆の歓迎ぶりを見たイエスは、御自分で子ロバを見つけてそれに騎乗された。ゼカリア9:9「娘シオンよ、…見よあなたの王が来る。…高ぶることなくロバに乗って来る、雌ロバの子であるロバに乗って」の預言を意識されていたのである。この預言は10節「わたし(神)はエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和がつげられる」と続く。要するに軍事的力によるのではない平和の王者であり、しかもその支配はイスラエルを超えた全世界に及ぶ、との預言である。だからイエスは、堂々たる軍馬ではなく、荷役用のロバ(しかも預言を意識して子ロバ)を捜して騎乗された。民衆の期待する政治的王的メシアではなく、「苦難の僕」であるメシアとして御自分を示す預言的行為である。イエスはその民を担う「イスラエルの王」であり、かつ全世界に平和を告げる王的メシアである。
 弟子達は、イエスが子ロバに騎乗して入城された意味を当初はわからなかった。だがイエスが栄光を受けられて聖霊が弟子達に降り、ゼカリアの預言がイエスについて語られたものであることを後になって悟ったのである。16節の「思い起こした」とあるのは、イエス御自身が弟子達に「(聖霊が)あなた達に全てのことを教え、わたしがあなた達に話した事を思い起こさせて下さる」(14:26)と語られるように、当初はわからなかった意味が後になって理解できるようになることである。
 このような民衆の熱狂ぶりは、ラザロ蘇生の奇跡を目撃したユダヤ人達が、その事を人々に証したからであり、それを聴いた者達が待望のメシア到来に歓喜してイエスを出迎えたのである。
 これを見たユダヤ教指導部(「パリサイ派の者達」となっているのは、ヨハネ伝成立当時のユダヤ教指導部がパリサイ派だったからである)は、民衆のイエス傾倒を阻止しようとした試みがすべて失敗に終わったと思い、お互いに「今までの努力は無駄だった。ご覧よ、世を挙げてあの男について行ってしまった」と言い合ったのであった(19節)。
 だが、数日後にはイエスへの失望と怒りにとって代わるであろう民衆の歓呼の中を、イエスはいかなるお心で道を進んで行かれたのであろうか。
d.「人の子」が栄光を受ける時
 さて、この大祭(過越・除酵祭)に参加するため、全世界から集まって来た巡礼達の中に数人のギリシャ人がいた(20節)ここで「ギリシャ」というのは、国籍や生まれがギリシャであるということではない。当時の世界共通語はギリシャ語であるから、ギリシャ語を話し、かつユダヤ教の神を敬うが、まだ割礼を受けて改宗するに至っていない、いわゆる「神を敬う」異邦人という意味である。本格的にユダヤ教に改宗すれば「ユダヤ」である。(ステパノのようなギリシャ語を話す「ユダヤ人」はヘレニスト、ヘブル語を話すヘブライストと区別されたが、どちらも同じ「ユダヤ人」であった)。
 彼らは、ベツサイダ出身のピリポ(1:43で弟子とされた十二弟子の一人。使徒行伝で活躍するヘレニスト伝道者ピリポとは別人)に会いに来て、イエスにお目にかかりたいと願った。イエスは原則としてユダヤ人だけを宣教の対象とされた。彼らもそれを知っていたから、イエスに直接お願い出来ない事はわかっていた。そこで、何らかのツテを頼り、ギリシャ人住民の多い町ベツサイダ出身でギリシャ語が話せるピリポに会って、仲介を依頼したのである。ピリポは同郷のアンデレに相談し、二人でイエスにお会いしたいという彼らの願いを伝えた。
 これを聞いたイエスは、「人の子が栄光を受ける時が来た!」と言われた(23節)。ゼカリアの預言するメシアは、ユダヤ人だけの王ではなく、「諸国の民に平和」を告げる全世界の支配者である。この過越祭を、神の羔羊としての業を成し遂げる「わたしの時」と心定めておられたイエスは、「数人のギリシャ人」に、御自分が平和を告げるべき「諸国の民」を見たのであった。
 イエスは御自分を「人の子」と称された。単純に人間であるという意味ではなく、正義を地に行うために来臨する終末時救済者としての称号である。数人のギリシャ人に「諸国の民」を見たイエスは、いよいよ「終末時救済者・審判者」として裁きを執行すべき時が来たことを自覚された。その裁きとは、神と一致し罪も汚れもない御自分の命(プシュケー)を、神から離反し自己追求する人間の罪の代価(代償)として死に引き渡す事である。彼は、民を担う王者だからである。その死によって、彼に属する者達は肉(プシュケー)における罪の代価を支払い既に肉に死んだ者と見なされ、もはや神からの棄却である滅びとしての死を見ない。そして、イエスの復活の命(ゾーエー)に結ばれて、永遠の命に生きるようになる。神の独り子の死から、多くの「神の子供達」が生まれ出てくるのである。それはイスラエル民族を超えた全世界(諸国)の民からなる「神の国」である。
 イエスは父の御意志であるこの神の国の幻を見つめられた。これが世に実現するためには、彼が、その民の罪の報いである死を、死なねばならない。彼はそれ程までに人間に連帯された。そして次の「一粒の麦」の譬えを語り出された。
e.「一粒の麦」の譬え-1
 「アーメン、アーメン、私はあなた方に言う。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」(24節)。イエスは御自分の死の意義を、麦の種が地に埋められ(埋葬されて)、発芽し豊かな実を結ぶ麦となる自然現象に譬えられた。十二弟子始め彼を慕ってお側にいるユダヤ人達は、過越の祭儀の意義になぞらえてイエスの死を贖罪と理解し得たであろう。だが、ユダヤ教の祭儀を知らない者達(異教徒ら)にも、この譬えはイエスの死の意義を分かりやすく、しかも印象深く心に刻みつける。
 次回もこの譬えを学ぶ。だが今日は、イエスが私達人間を代表して、自ら進んで神からの棄却としての死を死んで下さった事に思いを致したい。私達が真の命に生きうるのは彼によってなのである。