家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

女性のかぶり物、及び「主の晩餐」についての指示

2023年5月21日

テキスト:Ⅰコリント11:2~22

讃美歌:388&537

 前回は、「偶像に供えた肉」問題の締めくくりとして、生活の全ての面で「自分の利益ではなく、他人の利益を追い求める」ことがキリスト者の行動基準であるべき、と説かれた。キリスト者が罪と死との因果律から解放され霊的自由を得たのは、キリストの「十字架の死に至るまでの従順」によってである。従って、キリスト者自身も「自分を低くして(無にして)神と人に仕え」、感謝の実を示して「神の栄光を現す」べきである。使徒は自分が聖霊によって「キリストに倣う者」であるように、あなた方コリント教会の人々も「わたしに倣う者となりなさい」と励ました。
 前回までは、教会からの質問や相談に対する回答として結婚や独身、奴隷の身分上の問題、食物規定(偶像に供えた肉)問題などを取り上げてきた。これらは、キリスト者の個人的生活についてであったが、今回からは、集会(礼拝)の在り方に関する事柄が取り上げられる。

                         (5)集会のための指示(11:2~14:40)
 コリント教会は、手紙冒頭の挨拶で1:5「あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされ」、また1:7「恵みの賜物にいささかも欠けることなく」と述べられているとおり、預言や異言などの霊的活動が盛んであった。こうしたカリスマは、聖霊の働きの現れである。一方、当時のヘレニズム社会では、取り憑かれたような熱狂状態を伴う異教が非常に盛んであった。パウロは、教会の霊的活動がこうした異教的熱狂と区別がつかない状態に陥らないよう苦心している。当時の歴史的状況の中で、教会がどのように発展してきたかを踏まえつつ読んでいきたい。
                     ①女性の、集会でのかぶり物について(11:2~16)
 この段落の要旨は、「女は、集会では頭にかぶり物をするべきだ」と言う事である。(これは、現在でもカトリックのミサで女性が頭にベールをかぶる習慣の根拠になっている)。当時の状況を踏まえないでこれだけを取り上げると、タリバンブブカを強制したり、イランの官憲がスカーフのかぶり方で女性を逮捕したりの、女性の人権侵害ばかり想起させる。ここと、後で取り上げる14:34「婦人達は、教会では黙っていなさい」を合わせて考えると、パウロも当時の保守的男性に過ぎないように思えてしまう。
 しかし、事情は次のような具合である。まず、頭に「かぶり物」をするということは、垂らした髪の上にベールを掛けるだけではなく、髪を束ね邪魔にならないようにまとめる為の物だったと考えられている。婦人達は、髪を結いかぶり物をするのが通常のきちんとした装いであった。特にユダヤ人社会では、ほどかれたサンバラ髪は癩病人か姦淫で告発された女の徴であり、恥であった。ところが、当時の異教的ヘレニズム社会では、熱狂状態(エクスタシー状態)を伴う怪しげな新興密儀宗教が盛んであり、ディオニッソス神信女達の狂乱状態に見るように、霊的狂騒状態になった霊能者や巫女たちは、髪をほどいて振り乱し、霊に憑依されたエクスタシー状態の徴とした。言い換えれば、振り乱した髪は霊能者の徴になっていたのである。こうした異教的環境に育ったコリント教会の異邦人キリスト者(女性)は、預言したり異言を語ったりする際、聖霊によって霊的高揚状態にあることを示す為に、わざわざ周囲の霊能者スタイル(振り乱した髪)をとったのではないかと考えられる。これでは、キリスト信仰によってであっても、異教的エクスタシー状態と外見上見分けがつかなくなってしまう。単に見かけだけでなく、預言や異言を語る本人自身も、理性や周囲への配慮を少しも損なわない聖霊による高揚(使徒行伝のペンテコステ記事参照)を、理性や正気を失わせるダイモニオン憑依状態と混同しかねない危険もあった。放置すれば、生まれたばかりの異邦人キリスト教会は、周囲のヘレニズム新興宗教の一つとなってしまいかねない。異邦人伝道には、ユダヤ人伝道とはまた異なる、こうした宗教的文化の差からくる困難があった。
 パウロは、上記したとおりコリント教会のこうした盛んなカリスマ活動を歓迎している。だから女性霊能者に、預言や祈り(これは、教会の祈りを先導すると言うこと)を禁じていない。ただ、そうしたカリスマ活動をする際、(正気を保った女らしく)かぶり物をせよと言っているのである。しかし身なりやファッションの事については、福音そのものから導き出されるというより、当時の風習や文化に依拠する面が大きいから、パウロはその根拠づけに苦心している。創造の秩序として、神→キリスト→男→女の序列があると言ったり、預言は天使が仲介すると考えられたから「権威の徴」を頭にかぶれとか、逆に「主においては男なしに女はなく、女なしに男はなく」とか「男も女から出た」とか、矛盾した事を繰り返し、最後には当時の習慣に訴えている。いずれにせよ、かぶり物をする根拠づけは、そうした風習や文化が廃れた現在、あまり意味がない。
 私達は、むしろこの段落で使徒が、女性も男性と全く同様に、「祈ったり、預言したり」すること(これは、教会の中で祈りを先導し、集会を指導するということである)を肯定している点を重視したい。パウロより時代が下がり、教会が組織化されてくると、世俗的秩序が入り込んできて、女性は次第に教会の指導的立場から追われていった。だが、福音的には「男も女もない」のである。
 「振り乱した髪」でカリスマ(賜物)を誇示したり、霊を見分ける注意深さの不足についても、特に注意されてはいない。女性だけでなくキリスト者全体のことだからである。
 奴隷制度が廃止されたように、人種差別やジェンダー差別等を解消する方向にキリスト者は努力すべきである。とはいえ、この世にある限り何らかの差別や抑圧は残る。そうした事に反対しつつも、信仰者は、一切の差別や抑圧から主によって既に解放されていることを知っている。そして自分の置かれた場所や限界の中で「主から分け与えられた分に応じ、それぞれ召された時の身分のまま」(7:17)喜んで主に仕える。主は信じる者を、御自分の命よりも貴びその血によって贖って下さった。私達も主の愛に応え、自分の分と限界の中にありつつ、主に仕えていきたい。
                            ②「主の晩餐」について(11:17~34)
 この段落は、教会の集会の有り様と儀式についての指示であり、多くの大切な事柄を含んでいる。現在の私達の集会(礼拝)の在り方を考えながら読んでいきたい。
❶コリント教会の集会の在り方についての叱責(11:17~22)-1
 新約聖書が書かれた頃までの初期教会において、信仰者(キリスト者)達の集会の中心は「主の晩餐」と呼ばれる食事会が中心であった。現在の聖餐式のような儀式ではなく、実際に食事を持ち寄って一緒に食べる交わりである。これは、地上のイエスが食事を共にする交わりを大切にされた(徴税人との会食、弟子達との食事、群衆への供食など)だけでなく、復活顕現も弟子達が集まった食事の席であり、食の交わりを伴ったことから由来すると言われている。マルコ伝では弟子達の食事の席(マルコ16:14)、エマオでも「パンを裂く様子」で主と認識し、ガリラヤ湖畔での顕現でも焼魚とパンが供された。また、最後の晩餐の席で「私を記念して」このように食を共にする交わりを行えと言われた。だから、ユダヤ人達が安息日(土曜日)に集まって礼拝したように、キリスト者達は主の復活された日曜日に集まり礼拝する際、共に食事する「主の晩餐」が礼拝の中心となったのである。ところが、同じ場所に集まる者達がバラバラのグループを作り、それぞれ別に飲み食いしたらどうなるだろうか。交わりどころか、かえって仲の悪さと分裂が強調される結果となる。それなら、集まって食事しない方がましである。コリント教会には、何らかの仲間割れがあり、集会の場で、それぞれ別々に礼拝するこうした状態にあった。
 コリント教会の霊的高揚を褒めたパウロであったが、この点については11:17「あなたがたを褒めるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです」と、叱責している。
 仲間割れの原因は分からない。信仰内容に関わる事かも知れないが、むしろ22節にある「貧しい人々に恥をかかせようというのか」という言葉から、貧しい者や身分の低い者との同席を避ける富裕な上流階級の差別だったと思われる。C・S・ルイスの小説でも紳士階級の青年が、教会で商店主らとの同席を恥じる描写がある。20世紀に入ってさえそうなら、古代社会ではどれほど奴隷や日雇い労務者らが差別されたことであろう。パウロは、19節「だれが適格者かハッキリするためには、仲間争いも避けられないかも知れません」と語り、具体的にはこうした差別を信仰的適格性を失わせるものとして厳しく糾弾している。続きは次回。