家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

新約聖書文書成立地域

2024年12月15日

テキスト:ルカ1:1~4

讃美歌:121&502

福音の史的展開

 前回まで、パウロエルサレム献金を巡って「ユダヤ人も異邦人もない」信仰共同体の一致を追求し、その結果騒乱の元凶として逮捕拘束され、遂にローマにまで護送されたことを学んだ。使徒行伝は、彼の死に敢えて触れず、福音がユダヤ教の中心であるエルサレムから発し、遂に他民族国家の中心であるローマにまで到達したことをもって記述を終えている。著者ルカは、福音書使徒行伝によって、福音の地理的及び歴史的な展開を記述しようとしたのである。
 今まで私達は、福音書や書簡などの新約聖書文書を個別に取り上げてきた。だがここで趣向を変え、ユダヤ教内で発生したキリスト信仰が、ユダヤ教の枠を超えヘレニズム世界に展開していった過程をおおざっぱに追ってみたい。新約聖書各文書は、「信じる者すべてに救いをもたらす神の力」として福音を告知している。告知の内容は同じケリュグマ「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 4葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 5ケファに現れ、その後十二人に現れたこと」(1コリ15:3~5)であっても、語られ方は文書成立の場所や時代、語る人によって変わってくる。今日のテキストにあるように、私達が受けた信仰が、人間の創り出した神話や哲学などではなく、現実に「実現した事柄(出来事)」によって立つ確実な事柄と分かるためにも、福音の展開していった状況の理解は必要であろう。本格的に取り組むのは難しいけれど、私達なりに新約聖書が成立するまでの最初期の教会の歴史を取り上げていきたい。
 今日はまず福音が進展した地域毎に、どのような文書が成立したかを概観したい。
(1)パレスチナ・シリア
 福音はまずエルサレムから始まり、周囲のユダヤサマリアに及んだ。また、イエスの活動の舞台であったガリラヤも、イエスの弟子が多くいた地域であり急速に復活者イエスの福音が広がったであろう。まず、パレスチナが福音展開の最初の舞台であった。この地域はアラム語を話すユダヤ人の地域であり、律法の枠内でイエスをメシアと信じ、彼が「人の子」として来臨するのを待望する黙示思想的キリスト信仰であった。パレスチナで成立した文書は残ってないが、イエス伝承が形成された場である。受難伝承やイエス語録伝承のQ資料、譬え話、奇跡物語など、福音書形成に重要な役割を果たした。
 アンテオキアを中心とする、パレスチナ北方のシリアにはアラム語セム系民族が居住していた。また大都市には多数のユダヤ人もいた。さらに、ユダヤ戦争前後には、戦火をのがれて多くのユダヤ人が移住した。福音は早くから伝えられ、ペテロやパウロという代表的使徒だけでなく、他の使徒(マタイやトマスなど)もシリアで活動したと推察されている。ヘレニズム世界の大都市アンテオキアは、ギリシャ文化とユダヤ教などの東方系宗教が複雑に混淆しており、後にグノーシス主義の発祥の地となった。
 パレスチナとシリアは、エルサレムとアンテオキアを二つの中心とする一つの楕円に例えられる不可分な地域であり、キリスト信仰の重要文書を多く生み出した。典型的なのは、マタイ福音書である。パレスチナで成立した「語録資料Q」(以下Q資料という)を拠り所とし、律法遵守を求めるユダヤ教内のキリスト信仰である。だが、異邦人伝道に理解があったペテロを権威とするマルコ福音書を受け入れ、しかもギリシャ語で語っている。これはユダヤ戦争後の、ユダヤ教から排斥され、異邦人世界に進出せざる得ないユダヤキリスト者共同体の状況を示している。
 マルコ福音書は成立地域を特定できない。伝統的にはペテロの協力者で通訳であったマルコが、ペテロ亡き後ローマで著作したとされている。だが、イエス伝承の流れからすれば、この福音書パレスチナ・シリア地方が生み出したとして良いであろう。ほか、「ヤコブ」と「ユダ書」も成立時期と場所を問わず、ユダヤ教内キリスト信仰のエルサレム教団の流れから生み出されている。
 福音は世界各地に離散したディアスポラユダヤ人共同体を拠点に、パレスチナ・シリアから地中海世界に広く伝えられた。東に向かっては、エデッサなどパルティア王国の諸都市に伝えられ、使徒トマスはさらに東にインドまで行ったと伝えられている。使徒トマスの伝承から、イエス語録を内容とする外典トマス福音書」が成立した。これはQ資料とは異なり、トマスをイエスの双子の兄弟としており(!)、かなりグノーシス主義に傾いている。シリアは他にも、後にエジブトで発見された「ナグ・ハマディ文書」に含まれるグノーシス主義文書を多く生み出している。
(2)エジプト
 アフリカにも早い時期から福音が伝えられたことは、ピリポのエチオピア高官への伝道物語などでも分かる。またアレキサンドリア地中海世界一のヘレニズム文化中心地であり、昔から多くのユダヤ人居住地があった。七十人訳聖書の成立や、哲学者フィロンの活躍に見られるようにヘレニズム世界ユダヤ教最重要拠点であった。キリスト信仰も、成立のごく初期から無名のユダヤキリスト者によって伝えられたとみられる。伝道者アポロもアレキサンドリア出身であった。
 アレキサンドレアのユダヤ人共同体は、伝えられた福音をエジプト各地に伝播し、後に外典ヘブル人福音書」を生み出した。ユダヤ教枠内のキリスト信仰である。ほか、もともとグノーシス思想の根強い地域だったのでグノーシス主義的文書を多く生み出した。これらユダヤ教的またはグノーシス主義的文書は正典から排除されたが、20世紀に砂漠で埋められた壺の中から発見された(ナグ・ハマディ文書)。
(3)エーゲ海地域とローマ
 使徒パウロとその一行が形成したこの地域の諸集会は、パウロが去った後も活発に伝道活動を継続し、多くの神学的に重要な正典文書を生み出した。パウロ書簡とパウロ名書簡(いわゆるパウロ文書)は、ユダヤ教の中から生まれたキリスト信仰がギリシャ思想の影響を強く受けヘレニズム世界の信仰として成立していく過程を典型的に示している。1世紀末に成立した「ルカ福音書」と「使徒行伝」は、マタイ伝と同じくマルコ伝を枠組みとしてQ資料を用いている。だが、マタイ伝がユダヤ人を対象とするのに対し、ルカ2部作は異邦人を対象としヘレニズム世界への福音書である。
 ほか、この地域で成立したとされる「ヨハネ福音書」がある。これを生み出した「ヨハネ共同体」は複雑な前史があり、イエスの愛弟子ヨハネを中心とするパレスチナ・シリアのキリスト者達が、ユダヤ戦争などの事情でエペソに移住し、独自の共同体を形成し、そこでそれまでの伝承や説教をまとめてヨハネ福音書を成立させたと考えられる。
 この地域で成立したが、複雑な前史があると考えられる文書に、もう一つ「ヨハネ黙示録」がある。エペソ沖のパトモス島で書かれ、エペソ周辺のアジア州7つの教会に宛てられているから、この地域で成立流布したことは確実である。だが、その強烈な黙示思想はパレスチナ起源を示している。おそらくユダヤ戦争で悲惨な体験をした祭司系キリスト者達がエペソ周辺に移住したと考えられる。従ってこの地域成立であるが、パレスチナの黙示思想的キリスト信仰の流れに属する。
 ローマはこの地域外だが、エーゲ海地域と密接な交流があり、人的往来も極めて盛んであった。エーゲ海地域のユダヤキリスト者からヘレニスト的な律法から自由な福音が早くから伝えられたと考えられる。その為律法遵守のシナゴーグと騒乱を起こし、49年にクラウディウス帝はローマからのユダヤ人追放令を発した。54年クラウディウス帝の死により、追放令は解除され、パウロが書簡を送るまでには異邦人もユダヤ人も含む多数の集会が形成されていた。パウロは囚人としてローマに護送されローマのキリスト者と交流したであろうし、ペテロも来て伝道し、ペテロ系グループやパウロ系など、系統の違う多数の集会が形成された。後の95年、ローマのクレメンスがコリント教会内の争いに信仰を持って対処するよう書簡(第一クレメンス書)を送っており、エーゲ海地域と一体となっていたことを示している。「ペテロ第一書簡」と「ペテロ第二書簡」も、ローマ成立である。また「ヘブル書」は、ローマと深い関係のある(ヘブル13:24)人物の著作であり、ローマのクレメンスもこの書簡を良く知って、引用もしている。
 正典成立後の2世紀以降も、ローマはキリスト教関連の多くの文書を生み出した。以上のように、ローマを含むエーゲ海地域は、新約聖書時代とその後の福音展開の最重要地域であった。
 今日は、本年最後の礼拝である。今まで継続できたことを感謝し、来年からは、新しい気持ちで福音の展開をキリスト信仰発生から時間に従って追っていきたい。祈りつつ進んでいこう。