家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

「この人を見よ!」

2022年3月6日

テキスト:ヨハネ伝18:39~19:16

讃美歌:7&121

                      B.救済者の天への帰還(13:1~20:31) 
2.受難と復活(18~21章)
 前回は、サンヘドリン側がイエスをローマ総督ピラトに引き渡したことと、ピラトとイエスの「真理」についての対話を取り上げた。イエスは、世俗的権力の一時的な代表者に過ぎないピラトの前で、真の王者(バシレウス)として真理について立派な証を立てられたのであった。ピラトは、イエスが何を語っておられるのか分からなかった。だが、イエスが単なる政治的愛国主義者ではないことだけは分かったであろう。だから、彼を政治犯として処刑させようとするユダヤ側の意図に、なにか不穏な意図を感じたに違いない。
 今回はその続きである。
19章(ローマ側の裁判と処刑)
(3)ローマ総督による裁判(18:39~19:16)-2
a.ユダヤ人、バラバ釈放を選択する
 イエスとの対話を終えたピラトは、彼に反ローマ的叛乱の意図を感じなかった。だからそのまま総督の判断として「私はあの男に何の罪も見いだせない」とユダヤ人達に告げた。したたかなユダヤ側の意図に乗せられずに、統治者として威厳を見せつけねばならない。
 しかし、単純にユダヤ人側の要求をはねつければ、それもユダヤ側の反発を招く。そこでピラトは、過越際に囚人を一人釈放する慣習を利用しようとした。実際には、こうした慣習は記録に残っていない。だが、難しいユダヤ統治にあたり、民衆の不満を抑えるために総督権限でこうした処置がなされた可能性は十分考えられる。それならユダヤ側要求を一応受け入れ顔を立てた上で、恩赦として釈放する形になるからである。
 だが、イエスを引き渡した群衆は「その男(イエスではなく、バラバを!」と叫んだ。バラバは《強盗》であった。《強盗》とは、単純な「物盗り」の意味ではなく、ローマに叛乱を企てた者をローマ側が蔑称した言葉であり、実際は《暴徒》を意味している。また、バラバとは「バル・アッバ=師父(ラビ)の息子」という意味であり、宗教的政治指導者であったと思われる。当然、民衆に一定の人気があった。ここで、ユダヤ人達が、「神の支配=神の国」を唱えたイエスではなく、政治的メシア主義者バラバを選択した意味は大きい。70年のエルサレム陥落を予想させる。
b.「この人を見よ!」
 しかしピラトは、ユダヤ人達の宗教的争いにローマの統治権を利用させたくなかった。イエスをローマ兵に渡し、鞭打たせ、惨めな姿にして再度ユダヤ人の前に引き出した。ローマ兵たちはイエスに茨の冠をかぶせ、紫の衣を模した赤いマントを着せ、「ユダヤ人の王、万歳」といってイエスを平手打ちした。彼らは、服従するようにみせかけ、内心では異教徒として自分達を軽蔑しているユダヤ人達への、反感と侮蔑の感情をイエスに吐き出したのである。
 これ程嘲られ、無力で惨めな男が政治的指導力を発揮するわけがないだろう!だから、もうローマを煩わせずに、自分達で勝手に処分したらよかろう、というのがピラトの意図であった。だが、ユダヤ人達はなおも「十字架につけろ!十字架につけろ!」と叫び続けた。
 ピラトは癇癪を起こし、「そんなら、自分達で勝手に十字架につければよかろう。私は、この男に(叛乱扇動者として)何の罪も見いだせない」と主張した。彼はローマ総督としての威厳と判断を優先させ、ユダヤ人達の要求には容易に従わない姿勢を見せようとしたのである。ユダヤ人達に十字架刑にする権限がないことを知った上で、脅したのである。そんなことをすれば、直ちに取り締まりってやるぞ!
 ところが、ユダヤ人達の返答は恐るべきものであった「律法によれば、この男は死罪にあたる。神の子と自称したからだ」。(レビ24:16「神の名を汚す者は、必ず殺されねばならない」参照)。要するに、彼を排除するためお前(ピラト)を利用したいのだということを剥き出しにしたのである。
 イエスは繰り返し御自分を「神の子」とし、神を「父」と呼んでおられた。しかしそれは、他の人間が自称するような限定的意味(例えば政治的メシア)とは違い、徹底的・全面的な真実であった。
 ユダヤ人達は、ピラトが漠然と感じていた《これはユダヤ人側の宗教問題だ》との予感を堂々と主張したのである。ピラトは、下手をしてユダヤ人達の宗教的争いに利用され騒乱に巻き込まれる危険を感じた。また、信仰のない人間の迷信深さからくる恐怖もあった。ローマ神話に、ディオニソス神を唯の美少年と間違えて攫ってしまって神罰を食らう逸話がある。うっかり神的存在に関わるのは恐ろしいことである。ピラトは再び官邸内に入り、イエスに「お前はどこからきたのか?」と尋ねた。だが、イエスが黙っておられるので苛ついて「私は、お前を釈放することも、十字架刑にすることも思うままなんだぞ!」と脅し威張って見せた。イエスは御子として父に完全に服従し、父の定め給うた道を自ら進んで歩んでおられる。だからピラトに「(あなたは)神から与えられねば、私に対し何の権限もない。だから、私をあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」と、言われた。
 現在、ロシアがウクライナに侵攻し、世の中を動かしているのは、やはり「力」なのか?という落胆と危惧の中にある。だが、真に世界を動かしているのは、よく言われるように「人間の混乱と、神の計らい(摂理)」である。決定的なのは、「神の計らい」つまり神の御計画である。イエスの十字架への道は、神が定め、ピラトは道具として使用されるだけである。イエスを十字架刑に処したローマ当局よりも、彼をローマに引き渡したユダヤ人側の罪はもっと重い。それが、シナゴーグから迫害されているヨハネ共同体及び当時のキリスト者達の考えであった。
 ピラトはイエスの威厳ある態度に接し、ますます怖くなり、イエスを釈放しようとに努めた。だが、ユダヤ人達はここに至ってしたたかさを剥き出しに、ピラトを脅しにかかった。「もし、この男を釈放するなら、あなたは《皇帝の友》ではない」。それは、皇帝に忠誠ではないという意味であり、前任総督は、ユダヤ人達から「皇帝の友ではない」と告訴を受け失脚したのである。
 誇り高いローマ人総督といえども、皇帝の権力に戦々恐々とせねばならなかった。皇帝の寵を失えば悲惨な末路が待ち受けていたからである。世俗的権力とはこのように不安で脆い。ハムレットに「ワインを染みこませた海綿だ!一杯に膨らんでいても、絞られればすっかり失ってしまう」という台詞があるが、その通りである。
 ピラトはこうして処刑を宣告する裁判の座に着いた。場所は、ガバタ(敷石)と呼ばれるアントニア城(砦)中庭の石畳の広場である。時刻は過越祭前日の正午頃であった。日付は共観福音書と1日ずれているが、どちらが正確かは問題ではないであろう。ヨハネ伝は、イエスが過越祭の犠牲の羔羊が屠殺される同じ日、同じ時刻に亡くなられた事を指摘して、イエスの血による贖罪の意義(過越の羔羊)を強調したいのである。
 ローマの裁判は公開が原則である。だが、世にも奇妙な裁判であった。本来、ローマから独立したいユダヤ人達(実際、そのような愛国的メシア主義者バラバの釈放を求めた)が、自ら自国民のイエスを「ローマに対する叛乱容疑」でローマに告訴したのである。彼らの「十字架につけろ!」という要求に対し、ローマ総督は「お前らの《王》を、(ローマ)が処刑していいのか?」と、確認した。
 イスラエルの信仰伝統は「神のほかに王(バシレウス)はいない」はずである。だが、祭司長達は「皇帝のほかに、私達には王(バシレウス)はいない」と真っ向からこれに反する答えをした。本音は、サンヘドリンの宗教的支配の邪魔になるからイエスを排除したい。だから、面従腹背のつもりで、ローマに屈する姿勢をみせたのであろう。面従腹背のつもりでも、それは全面的屈服である。長崎キリシタン達が「ただ心の中でのみ信じることはかないませぬ」と告白し信仰を守り通したことと比べてみたい。だが、先の戦争中、日本のキリスト者達も「天皇陛下のほかに支配者=王(バシレウス)はいない」として、面従腹背の心で天皇を現人神と告白したのである。祭司長達を、他人事のように批判することはできない。現在の私達も、権力に妥協迎合しようとする同じ誘惑に曝されているからである。
 ピラトはこれを確認し、イエスを十字架刑につけるために、彼ら(ローマ兵達)に引き渡した。
 政治的権力者ピラトも、宗教的権力者祭司長達も、「ポンテオ・ピラトの面前で立派な証を立てられた」イエスの前で、いかに空しい存在であるかが描き出されている。真の「力」と「支配」は、神のものであり、私達の主イエス・キリストの支配こそ、真理による支配である。黙示録で天使達が「屠られた小羊こそは、力、富、智慧、権威、誉れ、そして讃美、を受けるにふさわしい!」(5:12)と讃美しているとおりである。

「(私達は)真理に従えば力があり、従わねばわねば何の力もない」。これを心に銘記したい。