家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

イエスの逮捕

2022年1月23日

テキスト:ヨハネ伝18:1~14

讃美歌249&280

                        B.救済者の天への帰還(13:1~20:31)
                                           
2.受難と復活(18~21章)
 今回から、イエスが「わたしの時」と言っておられた受難と復活の報告を読んでいくことになる。最初に勉強したように、ヨハネ伝の受難記事は共観福音書と多少異なっている。それぞれの箇所で取り上げる予定であるが、共観福音書がペテロ系教会(エルサレム教会)の伝承、つまりペテロを中心とする12弟子の報告に基づくのに対し、ヨハネ福音書は12弟子以外の「もう一人の弟子」、つまり最後の晩餐でイエスの胸に寄りかかって質問した「愛弟子=長老ヨハネ」の報告に基づいているからである。ヨハネ伝記事の方が、より具体的に細かい人名や経過を報告している。従って、より古い伝承であろうとされている。
 しかし、どちらの記事も単なる事件の報告ではなく、イエスの死と復活が人間と世界にとって何であるかを知る信仰の目からの報告である。私達は、彼らの証によって信じるのであるから、記事が伝えようとする内容を素直に受け取ってゆきたい。
18章(イエスの逮捕と裁判)
(1)イエスの逮捕(18:1~14)
 1節「こう話し終えると」とあるのは、もともとは14章31節「さあ、立て、ここから出かけよう」という最後の晩餐の締めくくりの言に繋がっていた。要するに、残される弟子達のために「別の同伴者=聖霊」が来られると語り終えて、席をたってゲッセマネの園に向かわれた。キドロンの谷とは、エルサレムがある丘と、その東側にある「オリブ山」の間の、深く切り込んだ谷であり、ゲッセマネの園はオリブ山の山麓に位置していた。
 ここはエルサレム滞在中にイエスが弟子達と集まって祈る場所になっていた。昼間は神殿や公開の場で教えられ、夜は弟子達とここで過ごされたのである。だから、ユダもこの場所をよく知って居た。大祭司側(神殿貴族側)は、イエス逮捕を狙っていたが、昼間、群衆に取り囲まれた状態では、騒乱になる虞れがある。そこで、群衆とは切り離されてイエスと弟子達だけがいるような場所、つまり隠れ家的な場所を襲って、「密かに」逮捕しなければならなかった。ユダの裏切りは、具体的にはこの「隠れ家」の場所を密告したことである。
 3節「一体の兵士」とは、ローマ正規軍の一部隊である。ローマ側がイエス逮捕に向かったとするのはヨハネ伝だけであり、他の福音書には報告がない。だが、叛乱の虞があるとの理由で神殿側が要請したことも十分考えられる。政治的メシアを自称する反乱軍指導者を逮捕しようとすれば、当然、彼に従う者達の激しい抵抗が予想される。そうした場合を考慮し、神殿側がローマに要請したのであろう。共観福音書がそれを省くのは、ローマ当局を敵に回すのを警戒してユダヤ側だけに責任を負わせたのであろう。
 ローマ側は当然、イエスの顔も知らない。従って、ユダの「接吻」等によるイエス本人特定が必要であった。いずれにせよ、決して少なくない人数である。抵抗を考慮して、かなりの数の実力部隊が差し向けられたようだ。暗闇に、松明や灯火を持った武装した一群が押し寄せてきた。
 神殿側としては、群衆のメシア期待が高起きることを起きることを極度に心配していた。やっと維持している宗教的自治を失うことになるからである。実際、ユダヤ戦争が勃発し、その通りになった。だから、イエスに宗教的落ち度があろうとなかろうと、とにかく反乱軍指導者としてローマ側にひきわたさねばならなかった。騒乱が起きる前に、罪があろうとなかろうとローマ側に引き渡すつもりであったことは、カヤパが先に吐いた言葉からも分かる。
 静かな祈りの場に、突然、剣や槍をきらめかせた物々しい一団が現れたのである。
 4節、イエス一行は20名ほどだっただろうか?それでも、誰がリーダーであるか特定できない。信奉者達は当然リーダーをかばい、逃がそうとするであろう。実際、弟子達もイエスをかばってイエスの前に立ちはだかろうとしたであろう。ところが、イエスは「進み出て」、誰を捜しているのかと彼らに尋ねられた。彼らは「ナザレのイエス」と答えた。乱闘を予想して剣を握りしめたであろう。ところが、イエスは「わたしである=エゴーエイミー」と神顕現の言葉で応えられる(現在形)。現在形であるのは、この「ナザレのイエス」が永遠に現臨される御方であるからである。「昨日も、今日も、永久に」変わることのない御方であるから、この言葉は読者に対し、常に現在形で語られるのである。
 それを聞いて、逮捕にやってきた軍勢は後ずさりして、地面に倒れた。イエスの神的威厳に打たれたのである。(以前にも、逮捕に向かった神殿下役がイエスの威厳に打たれて、逮捕できずに戻っていった記事がある。)これでは、逮捕できない。イエスと軍勢は7節で同じ問答を繰り返した。
 イエスはこのように、しぶしぶ逮捕されたのではなく、自ら進んで彼らに御自分を「引き渡された」。そして、自分に従ってきた弟子達を逮捕させないように「この者達は行かせてやりなさい」と言われた。弟子達を庇うイエスの態度は、地上のイエスが繰り返し「わたしに与えて下さった者達の中、誰一人滅びませんでした」と言われた言葉の成就を指し示している。実際、通常はその場にいた全員を逮捕拘束するであろうに、弟子達の誰一人逮捕されていない。
 しかし、弟子達の気持ちはそれどころではなかった。「シモン・ペテロ」は剣を抜いて、イエスに手をかけようとした大祭司の僕に斬りかかり、その男の「右の耳」をそぎ落とした。その男の名は、「マルコス」。乱闘の主体名、相手の名、切り落とされた箇所、と具体的である。おそらく他の弟子達も同様に、イエス逮捕に抵抗しようとしたであろう。
 ところが、イエスは「剣をさやに納めなさい」と抵抗を禁じた。それに続く言葉は、マタイ伝は「剣をとる者は、剣によって滅びる」である。だが、ヨハネ伝は「父がお与えになった杯は、それを飲まないでおくことができようか」となっている。この場合の「」は、神の審判の象徴であり、イエスの受難が、単なる肉体的苦痛を超えた、神の裁きに身を曝す魂の苦痛であることを示している。それは神からの全くの棄却と憎しみであり、滅亡を意味している。十字架の苦難は、滅びの子が受けるべき裁きそのものであった。
 イエス本人を確保したからには、もはやその取り巻き連中を相手にして小競り合いする必要はなかった。むしろ、騒ぎを拡大させてはならないのである。弟子達も抵抗を禁じられた以上、どうすることもできず、ただうろたえるばかりであった。
 イエスを捕らえた一行は、まず、サンヘドリンの影の実力者アンナス邸に向かう。夜間は、正式なサンヘドリンの審議が行えない。だから、とりあえず逮捕を報告し、簡単な予備審査を行い、夜が明けたらさっさと正式なサンヘドリンの議決を下し、イエス信奉者達の騒乱が起きる前に、ローマ側に反乱軍指導者として引き渡す予定であった。罪があろうとなかろうと、「一人の人間が、民ユダヤ民族全体)に代わって死ぬ」、つまり叛乱を起こさせずユダヤ自治を守ることが大切だと、政治的に判断したのである。民衆の不満を抑えきれず、ユダヤ戦争が勃発したことが、ユダヤ亡国に繋がった経過を考えると、神殿側のこの判断は、かなり妥当のように見える。
 だが、目的が正しければ、罪のない人を犠牲にすることが正当化できるのだろうか。このように、人間は「必要悪」と考えて恐ろしい罪を平然と犯す。大義の美名の下にあるほど、目が眩んでしまう。ドストエフスキーの「大審問官」は、民衆に餌を与える為に、自分達エリートが罪を負うのだと、自己を正当化した。

 悪しき手段を用いて、正しい目的を達成することはありえない。人間はどこまでも、「捩れた弓」であり、「罪の法則の支配」の下にある。
 パウロは「善を行おうという意志はあるが、それを達成する力はない」と嘆き、直ちに「イエス・キリストによって」神に感謝している。人間を救いに導くのは、ただこの御方によってのみである。それを体験した証人達の証を、私達は真剣に聴きとり、信仰する者でありたい。