家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

ベタニアでの塗油

2021年6月6日

テキスト:ヨハネ伝12:1~11

讃美歌:257&391

         A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)

3.ユダヤ人との戦いと世に対する勝利(5:1~12:50)
 前回は、ラザロ蘇生の奇跡が引き起こした二つの影響のうち、「神の子がそれによって栄光を受ける」つまり、イエスが「世の罪を取り除く」神の羔羊としての業の成就(十字架死)する方向に、サンヘドリンが政治的策動を開始したことを取り上げた。過越祭のため集まってきたユダヤ人達もイエスの動きに関心が高まっており、民衆の動乱をおそれたサンヘドリンはイエス逮捕・拘束のため居場所を知る者は届け出るよう命令を出していた。
 この時期にイエスエルサレム入城されたならば、イエスを旗印として民衆の蜂起が起きるかあるいはイエスが逮捕・拘束されるか、どちらかは必定の情勢であった。
(9)エルサレム入り(12:1~36)
a.ベタニアでの塗油(12:1~11)
 ラザロ蘇生の奇跡の後、イエスは荒野に近い奥地(エフライムという町)に弟子達と共に身を隠されていたが、過越祭の6日前に(エルサレム滞在の宿泊地)ベタニア村に行かれた。「世の罪を取り除く神の羔羊」として過越の為に屠られる(死を受ける)為である。ラザロ蘇生の奇跡からまだ間もない時期であった。
 ここで、イエスをもてなす宴席で、マリアから高価な香油の塗油を受けるという事件が起こった。
 一人の女がイエスに高価な香油を塗油してイエスを信じ慕う真情を吐露したという記事は、四つの福音書全てにある。だが、それぞれが少しづつ異なった記載である。最初に成立したマルコ伝(14:3~9)は、この事件を過越祭の直前に置き、イエスの葬りの準備の意義を持たせている。場所はベタニア村の癩病人シモン宅であり、香油はイエスの頭に注がれている。マタイ伝(26:6~13)はマルコ伝の忠実ななぞりである。ところがルカ伝(7:36~50)は、マルコ・マタイとは異なり、時期的にはガリラヤ宣教のころ、場所はパリサイ人宅、女は罪の女であって、イエスの足を涙で濡らし髪の毛で拭い接吻して香油を塗る。イエスは、この女の示した愛は、多くの罪を赦された徴であるとして、女の罪を赦された。これには、葬りの準備の意味はない。ルカ伝はマルコ伝を知っていた筈であるのに、このような記載としたのはかなり確かな史実的伝承があったのではないか。
 以上の共観福音書全てで、この女の名は特定されていない。ところが、ヨハネ伝は女の名をラザロの姉マリアと特定し、時期は過越際の6日前(マルコ・マタイは2日前)、場所はベタニア村のラザロ姉弟の家が想定され、塗油の箇所はイエスの足、涙と接吻はなしで、御足から滴る香油を髪の毛で拭うとなっている。そして、マルコ・マタイ同様に葬りの準備の意義を持たせている。全ての記事で、女はその行為を批判され、イエスがその意義を解き明かされている。私達は史実を追求する必要はない。それぞれの福音書が核となる伝承をもとに福音を説き明かしているのだから、それに従って読むべきであろう。
 さて、その席では、マルタが給仕をし(だから多分マルタ宅が想定される)、イエスが死から起こされたラザロが同席していた。若輩ながら名目上の一家の主人であり、蘇生を受けた者として感謝のもてなし側にいたのであろう。すると、もう一人の姉「マリアが非常に高価な香油1リトラ(約326グラム)を持ち出し、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でそれを拭った。家は香油の香りで満たされた」(3節)。
 最愛の弟ラザロが、イエスによって死から甦らされた。この神的御業と憐れみを体験し、マルタ・マリア姉妹及びラザロは、自分達の一切を捧げてイエスに帰依したであろう。この香油(約三百万円相当)は、マリア個人の蓄えというより、ラザロの婚礼等の家族の将来への備えだったのではないか。彼らは将来の備え全てを、イエスに献げて帰依の心を示したのである。
 死を目前にされたイエスのただならぬ霊気と、高価な香油の香りで、その場はこの世のものならぬ雰囲気に満たされたであろう。だが、イスカリオテのユダがこの行為を無駄遣いと非難した。他の福音書は非難した人物を彼に特定していない。だが、十二弟子の一人がイエスを裏切った事実は、初期教会でかなりのストレスであり、次第にユダを卑しい人物に描くようになったと思われる。
 イエスは「彼女のしたいようにさせなさい。彼女はそれを私の葬りの日のために取っておいたのだ。貧しい人はいつもあなた方と一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない」(7~8節)と言われた。この香油は、決してイエスの葬り用に蓄えられていたものではない。だが、彼らの捧げ物に、イエスがそのような高貴な意味を付与して下さったのである。私達が、自分をイエスに献げるとき、持てる能力や経験の全てが、最高の意味と価値を得て用いられる。イエスがそれを御業に用いて下さるからである。また、イエスへの愛と献身は、慈善等の他の善行と並ぶような善行ではない。善い業の流れ出る源であり、業を善いものとする根拠なのである。
 刑死した罪人は、そのまま放置されるかゴミ捨て場に投げ捨てられ、鳥獣の餌食とされた。イエスは、そのような刑死者の死を御自分に予想しておられた。御自分の者達への愛の為に、人知れずこのような死を覚悟されていた彼は、この塗油を御自分のあらかじめの葬りとされたのである。 
 私達がこの記事で最も胸打たれるのは、香油を献げた者の心情や敬虔ではなく、私達に代わって、このような罪人としての恐るべき死を進んで受けて下さったエスの愛と献身である。これを思う時、私達は彼の血によって高価に贖われたことを悟る。私達は彼のものであり、自分の全てを献げて彼に帰依するのである。
b.ラザロ殺害の陰謀(9~11節)
 さて、イエスがベタニア村に来られたと聞いて、大勢のユダヤ人達がその場にやって来た。イエスを見るだけでなく、イエスが蘇生させたラザロを見るためであった。イエスが過越祭にエルサレム入城されるかどうかが多くのユダヤ人達の関心事であったが、死から甦ったラザロがその後どのように生きているかも確かめたかったのである。宴会は社交や社会的自己演出の場であったから、その様子をだれもが見物できた。イエスとラザロを見物するために、この宴会の様子を大勢の人達が取り囲んで見ていたのである。
 ここで当時の正式な宴会(会食)を少し解説したい。絵画の「最後の晩餐」のようにテーブルの周りに椅子席が設けられたのではない。料理を並べたテーブルを中心に食事用寝椅子(普通3人用)が配置され、そこにサンダルを脱いで左を下に斜めに横たわり、右手で料理や飲み物をとって飲食した。寝椅子の一番右よりが上座である。部屋の入り口から見て左側が招待主、入り口正面から右回りが招待客の席である。女性は普通同席しなかった。テーブルやそれを囲む寝椅子は人数に応じて増減されたり、別室に設けられたりした。客の身分に応じ料理や酒の量と質も違ったようだ。主賓者達は招待者の近くに、その他の者はグルーブごとに別テーブルをかこんだのではないか。
 正餐の時間は、冬なら午後二時頃、夏なら午後四時頃から始まり、前半は料理を中心とした晩餐、後半は酒を中心とした「飲み会」である。晩餐は家父長がパンを裂き、神に感謝の祈りを捧げて始まる。料理は直接手にとって食べ、汚れた手はパンで拭って投げ捨てられた。そのパンを「子犬」などが自由に食べた。晩餐が終わると、テーブルは下げられ、床が掃き清められて、デザート等の別テーブルが運び込まれ、後半の「飲み会」となる。「飲み会」は杯を掲げて食後の祈りを捧げてから始まる。そこには「宴会長」がいて葡萄酒を水と調合して提供する等、その場を取り仕切った。カナの婚礼の奇跡で、水が変化した葡萄酒を味見したのはこの「宴会長」である。「飲み会」は歓談や討論の場であり、プラトンの「饗宴」もこの「飲み会」の場の出来事として描写されている。
 祭司長達(サンヘドリンの内閣)は、ラザロ殺害も検討した。死人を甦らせる奇跡の生き証人だからであり、ラザロを見た多くのユダヤ人達がサンヘドリンを離れて、イエスを信じるようになったからである。(なお、ラザロは生き延びてキプロス島の初代主教になったという伝説がある。)