家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

先天的盲人の開眼

2021年3月7日

テキスト:ヨハネ伝9:1~41

讃美歌:9&277

                        A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)

3.ユダヤ人との戦いと世に対する勝利(5:1~12:50)
 前回まで、仮庵祭でのイエスと「イエスを信じたユダヤ人」との論争をとりあげた。その中に、「私は世の光…」(8:12)以下の言葉がある。この言葉の「徴=実体を指し示すもの」としてヨハネ伝が配置したのが「先天的盲人の癒やし」である。光が失われたのが失明であり、盲人には光がない。その(目の)光を与える奇跡は、イエスが「世の光」であることの「徴」である。
 (6)先天的盲人の開眼(9:1~)
a.不幸は罪の結果か
 秋の仮庵祭(8章)後で、冬の神殿奉献祭(10章)の前、だから秋から冬にかけてのある日、イエスは通りすがりに先天的盲人を見かけられた。盲人の癒やしはマルコ伝8章(ベツサイダで唾を用いた癒やし)と10章に(エリコで盲人バルトロマイの癒やし)がある。これらを題材に構成されたドラマと思われる。
 当時、身体障害や病気は罪の結果と考えられ、身障者や病人は蔑まれた。だから、弟子達はこの人が盲目として生まれたのは誰の罪の結果かとイエスに尋ねた。生まれる前には罪を犯し得ない筈なのに、何の因果でこうした障害を負って生まれたのか、と言う質問である。こうした因果応報思想は世界中に行き渡っているが、現実にはそれと矛盾する事例が溢れている。ヨブ記はこれを題材にした。弟子達の質問も同じである。
 イエスは「誰の罪でもない」と、不幸を罪の結果の刑罰と考える応報思想を否定された。そして「それは、この人に神の業が現れるためである」とお答えになった。何という力強い言葉であろうか。ヘレン・ケラーや重度身障者が国会議員になる等の、当人や周囲の努力とは違う。イエスは、この人の障害や不幸を、神の御業を現す場とすると宣言されたのである。だから、パウロ喜んで自分の弱さを誇った。主が「わたしの力は弱さのなかでこそ十分に発揮される」(Ⅱコリ12:9)と、語られたからである。
 ここでは主の力は、先天的盲人を開眼させるという形で現された。唾で作った泥を見えない目に塗布し、シロアムの池で洗うように命じられ、その通りにすると目が見えるようになった。
 シロアムの池は、神殿の丘南斜面にある貯水池で、その北方上方のギホンの泉の水を地下水道で導水したものである。シロアムとは「遣わす」というヘブル語から派生した「導入=導水」という言葉であり、イエスが「神から遣わされた」方という意味を含ませている。
 しかし、その方法が問題となった。「唾を用いて泥を作る」、「池で洗う」ことは、全て安息日に禁じられた労働行為であった。ベトザダの池での足萎えの癒やし事件(荷を担ぐ事を命令)同様、安息日規定に挑戦的だったのである。
b.近隣住民の驚きと困惑
  開眼した元盲人が家に帰ると、彼が先天的盲人だったと知っている近隣の人々は最初はその人だとは認めなかった。奇跡が起こると、人間はそれを何とか自分の理解範囲内の事柄に収めたがる。それが不可能だと、その出来事そのものを無視したり、否定しようとする。自分の理解範囲外のことは認めたくないのが人間本性である。だが、本人自身が先天的盲目を癒やされたと証言した。
 そこで、彼らは奇跡がどのようにして起きたかを聞き、それが安息日規定に違反したやり方である事に気づいた。更に、癒やし手とその行方を尋ねたが、イエスという方だという以外の事は、本人も知らなかった。そこで、彼をパリサイ人達(地域シナゴーグの長老評議会)のところに連れて行き、彼らにこの事件の判断と処理を委ねた。
c.パリサイ人達(地域シナゴーグの長老評議会)の判断が分かれる
 癒やされた人から聞き取りを行った当初、パリサイ人達の判断は分かれた。イエス安息日規定に違反したから神から来た者でないという者と、奇跡行為者が罪人でありえないという者と両方いた。使徒行伝の律法学者ガマリエルに見られるように、パリサイ派は元々は穏健派だったのである。そこで、元盲人にイエスについての評価を聞くと、「預言者だ」と答えた。神から派遣された人一般を預言者というのは通常の表現であり、まだ律法に抵触しない範囲である。
d.ユダヤ人達の「会堂追放」決議
 しかし、既にユダヤ人全体としては、イエスをメシアと告白する者は「会堂追放」すると決議していた。これは明白に、70年のユダヤ戦争後の状況である。
 ユダヤ教団のキリスト者迫害の歴史を振り返ると、エルサレム陥落以前まではキリスト者達はユダヤ教の一派と考えられていた。人間イエスをメシアと考えることは自体は、クロス王をメシアと呼んだ例もあるように、必ずしも律法違反ではなかった。だから、パリサイ人達もこれを黙認した。だが、①イエスを神として(エゴー・エイミー)礼拝したり、②律法を軽視し、異邦人と仲間になるような態度(ステパノなどヘレニストキリスト者達)があると、放置できなくなり迫害した。鞭打ちや一時的会堂追放などの懲罰で、「正しい」ユダヤ教信仰に矯正しようとした。しかしどうしても矯正不可の場合は、ユダヤ国民(ユダヤ人)であることは変更できなかったから、殺害するしかなかった。パウロが城壁から釣り下ろされて逃れたのもこうした殺害計画からである。だが、当時のローマ世界各地のシナゴーグで、キリスト者ユダヤ人と保守派ユダヤ人との紛争が多発した。このため、49年に皇帝クラウディウスは首都の治安を乱すとして全ユダヤ人をローマ追放処分とした。その結果、アクラとプリスキラ夫妻がパウロと出会うことになったのである。
 ところが70年のユダヤ戦争後は、状況が一変した。亡国の民となったユダヤ人は律法一点のみで民族性を保持しなければならなくなり、ヤムニアに創設された「ベト・ディン=再建サンヘドリン」が世界中のシナゴーグを統制した。彼らは神殿崩壊を律法違反に対する神罰とみて、一層厳格な律法主義をとった。そして、ナザレ人(キリスト者達のこと)などの異端を呪う祈願をシナゴーグで唱える決議をした。呪いの対象者は、もはやユダヤ人とは見なされない永久的「会堂追放」を受けた。これはユダヤ人社会からの追い出しである。追放された者は他の民族共同体構成員にもなれず、全く孤立した裸状態で放り出されることになる。当時では生活を奪われるに等しい処置であった。これを恐れ、イエスへの信仰を隠してシナゴーグ内部にとどまる「隠れキリシタン」も存在した。
e.元盲人の会堂追放
 ユダヤ人達は、元盲人の両親を尋問したが、彼らは「会堂追放」を恐れて返答を避けた。そこで本人を再尋問した。「神に栄光を帰しなさい。あの人(イエス)が罪人だと私達は知っている」。「神に栄光を帰しなさい」は、正直に罪を自白せよという意味であり、後に異端裁判の決まり文句となった。だが、本人は「彼が罪人かどうかは知りません。知っているのはただ、目が見えなかった私が、今は見えるということです」と答えた。
 生涯身体障害に苦しみ、そればかりか罪人と蔑まれる運命にあったこの人にとって、イエスとの出会いは不幸からの解放であった。神学論議は分からなくとも、自分がイエスによって不幸から解放されたと言う一事だけは分かる。この一事が、彼の信仰の根拠である。
 ユダヤ人達は彼を更に問い詰めたので、彼はそんなに聞くのはあの人(イエス)の弟子になりたいのですかと逆に質問した。この質問に、イエスの弟子になりたいという彼の願いが表明されている。ユダヤ人達は彼を罵り「我々はモーセの弟子であり、神がモーセに語られた事を知っている。だが、あの男(イエス)がどこから来たかは知らない」といった。元盲人は「神から来た人でなければ、私の目を開けるという奇跡はできなかった筈だ」と反論した。ユダヤ人達は、盲目に生まれたような罪人が何を言うかと罵り、彼を(イエスの弟子になりたいという願いの故に)会堂追放処分とした。自分を盲目から解放して下さった人を慕い、従いたいと願うのは当然ではないか。だがその事が、盲人であった時に得られた近隣やユダヤ人社会からの保護や援助を失わせ、ユダヤ人社会から(おそらく家族からも)放逐されたのである。
f.元盲人の信仰告白
  イエスは彼が会堂追放されたと聞いて、ご自分から出向いて彼に会い「あなたは人の子を信じるか」と聞かれた。「人の子」とは、ユダヤ教の特殊用語で、終末時に神から遣わされる審判者・救済者であり、預言者以上の神的存在である。元盲人はイエスをすでに預言者として告白した。だが、それでは足りないのである。イエスを「わが主、わが神」と信ずる信仰がなくてはならない。
 元盲人は、信じたいからその人が誰であるかを教えてくれと願った。イエスは「私がそれである(エゴー・エイミー)」と言われた。元盲人は直ちにひざまずき、イエスを(神=人の子)として礼拝した。彼はイエスによって現世の不幸から解放されただけでなく、イエスを自分の主と知る信仰をも与えられたのである。その喜びいかばかりであったろう。彼の回心は全く神の憐れみの業であった。こうして救いを求めようともせず闇に沈んでいた盲人が、この世においても永遠においても生命の光である方を見出したのである。
 この元盲人は、「会堂追放」されてヨハネ共同体に入ってきたユダヤ人達を思わせる。ヨハネ共同体が彼らを積極的に迎え入れ、お互いの信仰を励まし相互扶助(兄弟愛)に努めたであろう。それは、復活のイエス御自身が、ヨハネ共同体の人々を用いてご自分の身体である教会(エクレシア)を建て給う業である。イエスこそ、人が神とまみえる新しい真の「神殿」なのである。
g.見えると言い張る(自負する)罪
  イエスは、ご自分の来臨は(終末時審判者「人の子」として)人々を裁くためであると言われた。「見えない人が見えるようになり、見える者はみえないようになる」と言われた。 
 その場に居合わせたパリサイ人達(多分、イエスにあまり敵対的ではない穏健派)は、では自分達は見えないという事ですかと詰め寄った。イエスは、「目が見えない者であれば、罪はなかったであろう。だが、今あなた達は見えると言い張るところに、あなた達の罪が残る」と言われた。
 裁き主である「人の子」イエスの前では、全ての人が悲惨な罪人であり盲目であるいうことが露わになる。だが、パリサイ人達は自分を「律法に教えられて御心を知り、何を為すべきかわきまえ、自分を盲人の導き手、闇の中にいる者達の光…」(ロマ2:18~20)と自負していた。その自負が、イエスを終末的審判者と気づく妨げになった。その結果、イエスに跪き彼に依り頼むことができない。イエスは正しい裁き主であり、かつ自らその罪を担って人を義とする方だからである。イエスをそのような方と認識しえない盲目さに、罪が残るのである。
 今日はここまでにしたい。