家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

仮庵祭でのイエスと、人々の混乱

2020年12月27日

テキスト:ヨハネ伝7:1~36

讃美歌:267&讃美歌168

                        A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)

3.ユダヤ人との戦いと世に対する勝利(5:1~12:50)
  前回まで、ガリラヤでの5千人の供食の奇跡及び湖上歩行の奇跡と、生命のパンについてのイエスの説教を取り上げた。その説教に躓き、民衆だけでなく多くの弟子達も離反して行った事、及び残った十二弟子を代表するペテロの信仰告白を学んだ。今回から、新しい章に入る。
(5)イエスをめぐる人々の混乱
a.イエスの兄弟達の勧め
 7章1節の「その後」とは、錯簡(5章と6章が順番が入れ替わっているという仮説)に従えば、エルサレムのベテスダの池の癒やし事件のことになる。安息日破りだけでなく「神をご自分の父と呼んで、ご自分を神と等しい者とされた」(5:18)ことにより、ユダヤ人達がイエスを殺そうと狙うようになった。そのことと、7章の冒頭は良く適合する。殺害を意図するエルサレムユダヤ人(ユダヤ教指導層)を避けて、イエスガリラヤに留まっておられた。
 さて三大巡礼祭(エルサレムで守るべき祭)の一つ、仮庵祭が近づいてきた。これは、秋の収穫感謝祭(申命16:13~15)であり、荒野での天幕生活を記念して7日間仮庵で寝起きした(現在のイスラエルでも、ベランダや屋上に仮庵をしつらえて守られているそうである)。期間中、神殿には常に灯火がともされ、毎日シロアムの泉で汲んだ水を運び祭壇に注ぐ行列が行われ、人々は4種の木の枝を束ねたものをかざし讃美を歌って行進した。また7日目には特別にその年の恵みの雨を求める祈りも捧げられた。厳かで華やかな水と火の大祭であった。
 イエスの弟達(彼らも篤信のユダヤ教徒であった)が、イエスにも上京を勧めた。異邦人の多いガリラヤを去って、ユダヤ教の中心地エルサレムで公に業(奇跡や説教など)を行い、教えを広め弟子を獲得してはどうか。広く民衆の指導者として立とうと言うのなら、そうすべきではないかと言うのである。イエスの兄弟達も、反乱のような暴力的なことではなくとも、何らかの地上的勢力をイエスが獲得すべきであると考えたことが分かる。
 イエスはこれを「わたしの時カイロスはまだ来ていない」と拒絶された。この、時(カイロス)とは、特別な出来事が起こるべき時機(チャンス)という意味があり、「イエスの時」とは、「世に遣わされた」人の子としての使命(十字架と復活・昇天)が果たされるべき時である。これを、イエスの兄弟達はまだわきまえていなかった。これをヨハネ伝は彼らの不信仰としている。
 しかし、地上的世界内変革を志す(イエスの兄弟達もそうだった)なら、いつで行動するチャンス・時があるから、「あなた方の時はいつも備えられている」と言われた。
 そして「世はあなた方を憎むことは出来ないが、わたしを憎んでいる。わたしが世の行っている業は悪いと証しているからだ」と言われた。政治的・外面的変革であろうと、宗教的内面的変革であろうと、地上世界内の事柄であれば、世(人間的世界)は同じ土俵のこととして理解・受け入れることができる。だが、神がイエスを派遣された事柄は、現在の世(人間的世界)を終了させ、全く新しい世界を来たらすものである。イエスが現在の世の業が悪であることを証明している。従って世は、イエスの兄弟達のような現世内変革者を憎み得ない。だが、イエスを憎むのである。
 そこで、イエスガリラヤに留まり、兄弟達だけが上京していった。
b.仮庵祭でのユダヤ人と群衆の敵意と無理解
 ところがイエスは、兄弟達が出立した後で、人目を避け密かに上京された。兄弟達の勧めたような「公然と旗を掲げる」かたちを避けて行動されたのである。これ以降、イエスは再びガリラヤに戻られることはなく、エルサレムとその周辺で活動されたとヨハネ伝は伝えている。この点は、共観福音書(最後の過越祭になってはじめてエルサレムに上られたとする)とは異なっている。
 しかし、奇跡行為者或いは預言者としてイエスの評判は高まっていたから、ユダヤ人(ユダヤ教指導層)はイエスを探していた。騒ぎが起きる前に殺害しようと意図していたのである。
 一方、エルサレムに押し寄せてきた民衆達の間では、意見が様々であり、「良い人だ」という者もいれば、「群衆を惑わしている」という者もいた。だが、ユダヤ教指導者達(ユダヤ人)の処罰を恐れて、公然とイエスについて語る者はいなかった。
 イエスは祭の半ば(三日目か四日目)になった頃、神殿に上っていって教え始められた。ユダヤ教指導者達(ユダヤ人)は驚いて、「この男は学んだこともないのに、どうして聖書が分かるのか」と云った。「学んだこともない」とは無学という意味ではない。ユダヤ民族は全員がシナゴーグで律法教育を受けるから、読み書きは勿論、旧約聖書も知っている。彼らが驚いたのは、ラビに弟子入りして正式に律法解釈の伝授を受けずに教えていると言う点にある。いわゆる「神学校出身者」でもないのに、聖書を解釈し教えるとはと驚き呆れたので、イエスの聖書理解の深さに驚嘆したのではない。「どうして聖書が分かるのか」とは、「そんな奴に、何が聖書が分かるものか!」という侮蔑の言葉である。
 そこでイエスは「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしを使わされた方の教えである」と言われた。イエスは、ご自分一人の思いつきや考えを語っているのではなく、彼を派遣された神の御意を直接知って語っておられるのである。だから、その教えは神御自身の言葉である。
 イエスは「この方(神)の御心を行おうとするならば、この教えが神からのものか、それとも私自身が語っているものか分かるだろう」と言われ、「自分から語るものは自分自身の栄光を求めるが、自分を遣わされた方の栄光を求めるものは真実であって、その中に不義はない」と、教えの真偽の判断基準として、語る者が誰の栄光を求めているかという基準を示された。自分自身の考えから語る者は自分の独創性や正当性に栄光を求めようとする。だが、イエスはご自分の栄光ではなく、常に父の栄光を目指しておられる。この事実が、イエスの教えが人間からではなく神から出たものである事を示す、とヨハネ共同体はシナゴーグ側に弁論しているのである。
 イエスはご自分を殺害しようとしているユダヤ教指導達(ユダヤ人)に、モーセの律法(殺すなの教えがある)があると言うのに「なぜ、あなた達はわたしを殺そうとするのか」と言われた。だが、イエスへの殺意はまだユダヤ教指導達(ユダヤ人)だけのものであり、その時点では公然と正当化されてはいなかった。だから、イエスユダヤ人達のこのやりとりを聞いていた一般の群衆は、
 「頭がおかしいんではないか(悪霊に憑かれている)。誰がお前を殺そうとしているものか」と言った。一般群衆の中では、イエスの評判は割れており、まだハッキリとした殺意にまでは至ってなかったのである。ユダヤ教指導達(ユダヤ人)は、返答を免れた形になった。
 そこでイエスは群衆に向かって、「わたしが一つの業(ベテスダの池の癒やし)をしたので、皆はこれを驚いている。だが、モーセが割礼を命じたと言うので(もっともこれはモーセではなく、その先祖である族長達から始まったことだが)、安息日に割礼を施しているではないか。律法が無効にならないよう、安息日にも割礼を行うなら、私が安息日に人の全身を健やかにしたことで私に腹を立てるのか?」と、癒し奇跡をすることは安息日規定に違反しないという論拠を、モーセの割礼規定を用いて示された。これは、人道的倫理観を論拠とするマルコ伝とは少し異なっている。異邦人伝道を目指すマルコ伝と異なり、ヨハネ共同体はシナゴーグとの論争を意図していたことが表れている。
 「外見で裁かず、正しい裁きをしなさい」と、イエスは言われた。これは、律法規定を表面的・外見的にのみ解釈適用すべきではなく、律法の根底にある神の御心・御意志から解釈し適用すべきである、とシナゴーグに対しヨハネ共同体が主張しているのである。その場合、律法を「神への愛」と「隣人への愛」の二重の愛の戒めに要約する等の神学的論議が必要となる。
c.イエスはどこから来て、どこに向かわれるのか
 さてエルサレム住民(地方や外国から巡礼してきた「群衆」と違い、ユダヤ教指導層の意向をある程度理解していた)のある人々が云った。「この人は、人々が殺そうと狙っている者ではないか。(それだのに逮捕・拘束もされず)公然と語っているのは、議員達(サンヘドリン)が本当のメシアだと認めたではないだろうか?しかし、私達はこの人がどこの出身かを知っている。メシアなら、どこの出身かを誰も知らない筈だ」。愛弟子ヨハネもそうだったが、エルサレム住民は政治的・宗教的事情に通じていた。だから、イエスが誰にも妨げられず語っていることで、まず①サンヘドリンがメシアだと認めたのかも知れないと疑い、次に②イエスの出身地(ガリラヤのナザレ)が知られている事を根拠にしてメシアではない、としたのである。
 イエスは、神殿で教えておられる時に叫んで言われた。「(イエスの出身地が知られているが)私は自分から来たのではない。私を遣わされた方は真実であるが、その方をあなた方は知らない。私はその方を知っている。私はその方から出た者であり、その方が私を遣わしたからである」。つまり、イエスは「神から遣わされた者(神から来た者)」であり、その意味での本当の出身・由来は人には認識不能な神御自身であり、生まれ育った土地や人間的資質がメシアの条件とされてはいないと言われた。彼が神から来た方であると、人間的理解力は認識することができないのである。
 人々はイエスを捉えようとしたが、手をかける者は誰もいなかった。イエスを支持する群衆の反発を恐れたというより、エスが放つ神的威厳に圧倒されたからである。しかし、根本的には神の定め給うた「イエスの時」がまだ到来していなかったからである。
 群衆中、多くの者がイエスを信じ、こう言っていた「メシアが来ても、この人がした徴よりも多くの徴をするだろうか?」。これを、群衆に混じっていたパリサイ人が聞いていた。(そして、告げ口した)。ここに至って遂に、最高法院で権力を持つ「祭司長達とパリサイ派律法学者達」が、神殿警備の役人「下役の者達」をイエス捕縛のために派遣する事態となった。
 そこでイエスは言われた「今しばらく私はあなた達と一緒にいて、(それから)私を遣わされた方のもとに去って行く。あなた達は私を捜すが、見つけることはないだろう。私のいるところに、あなた達は来ることができないのである」。イエスはこの世を去って、父のもと(天)に帰ることを語っておられる。不信仰な「ユダヤ人達」は、復活して神の右に座するイエスが、どこにおられるかを知ることも啓示されることもないし、そこに従って行こうと願うこともない。従って、イエスのもとに行くことはできないのである。
 しかし、「ユダヤ人達」はさっぱり理解出来ず、「デァスポラ(外国在住)のユダヤ人達のところにでもいって教えるつもりだろうか?」とか、「『私のいるところに、あなた達は来ることができない』とは、どういう意味か?」とお互いに言い合うばかりであった。
 今回は、地上のイエスをめぐる人々の混乱を取り上げた。最もイエスを理解し、支援する気のイエスの兄弟達でさえ、自分の力(人間的理解力)ではイエスへの信仰に至ることはできなかった。イエスが天に昇られ(昇天され)、そこから聖霊を派遣するまで、信仰はまだ確立したものではないことが示されている。イエスの御業(十字架と復活)が「永遠の命を与える信仰」を生み出し、イエスがそれを分かち与える。イエスが、私達の信仰の創始者であり、それを全うする完成者であり給う。雅歌に「愛する者によりかかって、荒野から上ってくるのは誰か」(雅歌8:5)という言葉がある。信仰者の歩みとは、自分の歩みと言うより主に導かれ寄り縋っての歩みなのである。私達の教会も、主宰者であり給う主に導かれ寄り縋って、ここまで歩むことができた。私達を手放し給わなかった主に感謝し、来年も、これからも、旅路の終りまで、主により頼み、主に信頼しきってこの世の荒野を歩んでいきたい。