家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

役人の子供の癒やしと、ベテスダの池での癒やし

2020年9月20日

テキスト:ヨハネ伝4:43~5:18

讃美歌:273B&355

                        A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)
2.救済者の初期の徴と啓示説話(2:1~4:54)
(3)ガリラヤで活動開始されるまでの出来事(3:32~4:54)
 前回まで、イエスユダヤを逃れ、ガリラヤに向かう途上で、サマリアの女と出会いサマリア人に伝道をされたことを学んだ。今回は、ガリラヤに到着してからの出来事である。 
c.役人の子供の、遠隔からの癒し(4:43~54)
 シカルの町に二日滞在された後、イエスはそこを出発してガリラヤに行かれた。イエスが「預言者は故郷で受け入れられない」と語られたこと全福音書が伝えている。だが、共観福音書ではイエスがお育ちになった故郷(ガリラヤのナザレ)では受け入れられなかった理由としている。これに対し、ヨハネ伝は「ユダヤ人の王」イエスの本来的故郷をエルサレムを中心とするユダヤとし、ユダヤでは受け入れられなかったから、「異邦人の」ガリラヤに向かわれたとガリラヤ行きの理由としている。共観福音書の解釈の方が自然に思えるが、そうすると予想に反しガリラヤで歓迎されたということになる。シナゴーグとの対決姿勢を強めていたヨハネ伝記者の立場からすれば、本来的故郷ユダヤを逃れ、かえって異端のサマリアや、異邦人が多い「ガリラヤ」で歓迎を受けたとするのほうが本来の意図ではないだろうか。
 ガリラヤで歓迎されたのは、過越祭にエルサレムで行われた奇跡をガリラヤ人達も見ていたからだとしている。その評判が、次の奇跡のきっかけとなった。
 さてイエスは、以前、水を葡萄酒に変えたカナを行かれた。ヨハネ伝にカナの出来事が二度までも伝えられているのは、おそらくカナ出身のナタナエルがヨハネ共同体と親しい関係にあったからであろう。カペナウムの町に、領主ヘロデ・アンティパスの家臣がいた。その息子が病気で死に瀕していた。家臣は、イエスユダヤからガリラヤに戻ってこられたと聞き、カナにやって来て、イエスにカペナウムに同行して子供を癒やして欲しいと懇願した。イエスは、それに直接お答えにならず、「あなた方は、徴や不思議な業を見なければ、決して信じようとはしない」ユダヤ人の不信仰を嘆かれた。母マリアが宴会の葡萄酒の不足を訴えた時と同様、奇跡を求める信仰を拒絶されたのである。だが、父親はめげずに食い下がった。状況は切迫しているのだ。「主よ、子供が死ぬ前にどうかおいで下さい!」。
 イエスは彼に言われた「帰れ!あなたの子供は生きる」。その人は、イエスの言葉を信じて帰っていった。その帰路で、彼の奴隷達が、子供が快復したことを知らせにきたのと行き会った。子供が快復した時刻を聞くと、「昨日の第7時(午後1時)ごろ」とのこと。ちょうど、イエスが「あなたの子供は生きる」と、彼(父親)に告げた時刻ではないか。そして、彼も彼の一家全員もイエスを信じた。
 この父親は、奇跡(子供の癒し)を「見ないで」イエスの言葉だけで信じ、イエスの命令に従って(イエスを伴わずに一人で)帰った。神の言葉が必ず成就すると、成就を見る前に信じる信仰で、イエスを信じたのであった。しかし、帰宅途中の彼の心中はいかばかりだったろうか。子供は必ず快復すると信じる一方、「しかし、もし…」と疑う懐疑との必死の戦いであったことだろう。しかし、その懐疑は、子供の快復という事実によって打ち勝たれ乗り越えられた。
 ちょうど水が葡萄酒に変化したことを知る弟子達だけが、イエスを信じ得たように、イエスが言葉によって子供を癒やされたことを知る父親(およびその一家)だけが、イエスを信じ得たのである。それを知らない他人の目から見れば、重体だった子供がたまたま快復した、という自然の成り行きに見える。だが、この父親には神の奇跡と、ハッキリと分かったのである。余計な扇動や効果狙いでなく、「叫ぶことなく、声を上げることなく、その声を巷に聞こえさせず、…真実をもって道を示す」(イザヤ42章)イエスの自己啓示が、ここに語られている。
 これは、イエスユダヤからガリラヤに来て為された、二回目の徴(奇跡)である。ヨハネ伝は、カナでの最初の奇跡から、この第二の奇跡に至るまでを、まだ不信仰と敵意に遭遇する以前のイエスの初期の自己啓示の期間としてまとめている。
 しかし、この第二の奇跡には、第一の奇跡にはなかった「見ないで信じる」信仰が語られている。第一の奇跡では、弟子達が信じたのはイエスが水を葡萄酒に変えたことを見たからである。だが、この父親は子供の癒しをまだ見ないで、イエスの言葉だけで信じた。子供の快復という事実は、後になってその信仰への決断の正しさを実証し、彼の信仰は揺るぎないものとなった。
 共観福音書にも、これに似たカペナウムの百卒長の話(マタイ8:5以下、ルカ7:1以下)が出てくる。おそらく同じ事件を取り上げたのであろう。共観福音書ユダヤ人に勝る異邦人の信仰を称揚する立場になっているが、ヨハネ伝は見ないで信ずる信仰の一例として取り上げている。
 これ以降、イエスの言動はユダヤ人の不信仰の闇を明らかにし、その敵意を募らせる、「光」としての様相が露わになってゆく。

3.ユダヤ人との戦いと世に対する勝利(5:1~12:50)
錯簡の問題(イエスの行為の順序について)
 ガリラヤに到着され、4章の終わりにはカナにいらしたイエスは、5章ではエルサレムに戻られている。それに続く6章1節は、「その後、イエスガリラヤ湖の対岸に渡られた」となっていてそれまでガリラヤにいたことを前提としているように読める。また5章の終わりに、ユダヤ人達がイエスを殺害しようとしているから、(エルサレムを逃れて)7章1節のように、ガリラヤに留まられたとすると記述が自然である。だから、5章と6章が初期の写本の段階で間違って入れ替わった(錯簡)とする有力な仮説がある。その場合、ガリラヤのカナで役人の子供の癒し(4章末)をされたイエスが、(6章)ガリラヤ湖対岸に渡り、5千人の供食をされ、その後(5章)エルサレムでベテスダの池の奇跡をされ、ユダヤ人を逃れて(7章)またガリラヤに戻られたと、イエスの動きが自然になる。
 しかし、「起きて、床を取り上げて歩け!」というイエスの言葉は、マルコ伝(2:11)にもあり、ガリラヤでの出来事とされている。ヨハネ伝は、主な奇跡をエルサレムで起きたとする傾向がある。それに、このままの順序で読んでも内容時に問題はないと思われるので、従来通り5章から先に読んでいきたい。
(1)安息日の癒やし(5:1~18)
 エルサレムに巡礼すべき祭りは、三つあり(過越祭・五旬節際・仮庵祭)、その一つを守るためイエスガリラヤからエルサレムに行かれた。(錯簡の仮説に従えば、過越祭から7週後の五旬節、シナイ山での律法授与記念祭)。
 エルサレム神殿近く、北側にベテスダという貯水池があった(図76参照)。縦97m、底辺76m、上辺60mの台形で、中央のダムで上下二つに分かれ、各辺およびダムに回廊が設置されていたことが、発掘調査で確認されている。
 この五つの回廊には、大勢の病人や身体障害者、痩せ衰えた者達が横たわっていた。水が動くとき、真っ先に池に入ると癒やされると言われていたからである。(3節後半から4節までは本文ではなく、欄外の注であったものが、後の写本から本文に移されたもの。本文の7節、病人の言葉で確認できる)。目を背けたくなる、暗く陰惨な風景である(だが、これは私達が実感する世界の実情ではないか)。当時、この池では地域の病気癒やしの祭儀(アスクレピウス祭儀など異教的なもの)が行われていたことも発掘で明らかになっている。厳格なユダヤ教の中心地でさえ、病や身体障害に苦しむ民衆は藁をも掴む思いで異教的なものにも縋ったのだろう。現代でも、コロナ禍の「アマビエ」がはやっているのだから、治療を祈祷に頼るしかない当時はなおのことであった。
 そこに、38年間も病で横たわっている人がいた。イエスは彼をご覧になり、長い間病に苦しんでいるのを知って、「良くなりたいか?」と問われた。ところが彼は、あたりまえに「そうです。良くなりたいです」とは応えなかった。38年間も、癒やしを願ってここに横たわっていた。だが、もはや癒やされるという望みも絶えた。水が動くとき、真っ先に水に入りたくとも足が萎えている。また、彼を介助して池に入れてくれる人もいない。彼は「誰も私を池に入れてくれる人はいない。」と答えた。ただ水面を見詰めて他人が真っ先に水に入っていくのを眺め、幸運から閉め出された自分の、残酷で無情な生への恨みの籠もった言葉である。
 人間がかくも打ちひしがれている様に、イエスは深く憤られた。「起きて、床を取り上げて歩き回れ!」(ただ「歩け」ではなく)と言われた。すると突然、病人の四肢に若々しい力が漲り、彼は躍り上がってそれまで伏せっていた床(筵のようなもの?)を肩に担ぎ上げ、歩き出した。その驚愕と喜び、いかばかりであっただろうか。肩に荷を負い、力強く歩くその嬉しさ!一足ごとに自分の力と健康を喜びなから、彼は歩き続けた。
 ところが、その日は安息日であった。安息日には歩くのは良いが、荷を担いではならなかった。床を担いで歩く彼の姿を、(律法に厳格な)ユダヤ人指導者が見とがめ、非難した。それに驚き、我に返った元病人は、自分を癒してくれた人に命じられたと弁解した。ユダヤ人達は、永年の病人が癒やされた事に毛筋ほどの関心もなく、かえって、そんな律法違反を命じた者は誰だと、気色ばんで問い詰めたのである。ところが、イエスは群衆に紛れて立ち去ってしまわれたし、当人は癒やされた喜びに夢中で感謝することもお名前を伺うことも忘れていたのだ。
 癒やされた喜びに夢中でお礼を言うも忘れた元病人は、我に返り、ともかく神に感謝しようと神殿に入った。すると、イエスの方から彼を見つけて声をかけられた見よ、あなたは良くなった!今後はもう罪を犯さないように」。彼が健康を回復したことを、心から喜び、同時に、以後は自分を創造された神を崇め、信頼すべきことを教えられた。神は、人間が生命と喜びに溢れて生きることを望んで下さる。自分について神に絶望することが罪である。
 癒やされた男は、駆け戻って、自分を癒やしてくれたのはイエスだと、ユダヤ人達に告げた。ユダヤ人に言い告げ口をするつもりではなく、(自分の安息規定違反の行動は)奇跡を行う神の聖者の命令だったからだとイエスの権威を告げたのである。
 ところが、永年の病気からの癒やしという神の「奇跡」について、畏怖や感謝など彼らにはなかった。かえって、安息日に「荷を担ぐ」律法違反を命じたとして、イエスを追求詰問したのである。ヨハネ伝は、ユダヤ人を光を憎む闇の典型として描いている。だから具体的な現実のユダヤ人の罪を糾弾するのではない。だが、不信仰というものが、いかに神への愛や人への愛を欠落させるものであるかが示されている。光の前に、影もまた一層濃くクッキリと浮き出るのである。
 イエス「わたしの父は、今に至るも働いておられる。だから私もはたらくのである」と答えられた。神は、一日の休みもなく、日々太陽を昇らせ、生命を育み、創造する業を継続しておられる。エジプトで苦役に悩む民を見過ごさず、救い出された私の父(神)は、今に至るも、働いておられる。それならば、(御子である)私イエスも同様に民を救済する業を為すのであると、言われた。共観福音書安息日は人のためにある」と律法の精神から説かれた。だが、ヨハネ伝は安息日の癒やしを、律法を超越する神の業に倣う「子なる神」としての立場・権威に根拠づけている。
 今度は、そのこと、つまり神を「私の父」と呼び、ご自分を神と同格とされた事が、ユダヤ人の憤激をかった。人間であるものが(例えメシアであろうとも)、自分を神と等しいとすることは、最大の瀆神行為だからである。共観福音書では、イエスは大祭司の審判以外に、ご自分を神と一体として(「人の子」終末時審判者であると)、公然と名乗られていない。だが、ヨハネ伝では、すでに復活され、天と地の一切の権威を与えられた復活者イエスを、地上のイエスと重ねて語るので、このような表現となる。復活者イエスを、神と崇める信仰によってシナゴーグ側と戦っている(ユダヤ教と分離した)キリスト教としての立場からである。
 この事件以降、ユダヤ人達はイエス抹殺を意図するようになった。彼らの(転倒した)考えでは、それが唯一なる神に仕える道だという信念からである。

  続くイエスの説教は、次回取り上げたい。