家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

イエスの十字架と死

2020年3月8日

テキスト:マタイ伝27:32~54

讃美歌:515&495

                    第6部 受難とイースター(26:1~28:20)

 前回は、ピラトの審問とローマ兵による嘲弄と虐待を取り上げた。イスラエルユダヤ民族)の指導者たる祭司長等が、来たるべき審判者「人の子」を神聖冒涜者として断罪し、虐待したと同様、異邦人らも同じく全世界を裁くべき王である方を嘲弄・虐待した。だが、嘲りとしてではあるが、彼等異邦人が(茨の冠を)戴冠させ、(緋色の衣を)王衣の外套として着させて拝跪礼拝したことに注意したい。野蛮な嘲りの対象のこの方が、真に拝跪礼拝すべき「全世界を裁く王」として来る方なのである。
 今回は、イエスの十字架と死を取り上げる。
6.1 十字架と刑場への道
 イエスを官邸から引き出した兵士等一行が、ピラト官邸から400メートルほど離れたエルサレム城壁から外に出てくると、キレネ出身のシモンというユダヤ人に出会った。ローマ人は出会ったユダヤ人を徴用し荷役を課す権利があったので、シモンにイエスの十字架を負わせゴルゴダまで運搬させた。十字架刑にされる者は自分の十字架を刑場まで担いで運ぶのが通例であったが、虐待と失血によりイエスにその体力が無かったのであろう。資料としたマルコ伝ではシモンを「アレキサンドロスとルポスとの父」と説明している。だが、マタイの教会で彼等は知られていなかったので、単にキレネ出身のシモンとのみ記載されている。ゴルゴダエルサレム城壁から見える場所にあり、古代の石切場跡で頭頂部(されこうべ)のように丸くこんもりした岩があった。それが、この名の由来である。
 マルコ伝ではイエスは麻酔作用のある葡萄酒を提供されたが「飲まなかった」。だが、マタイは苦い味がついた葡萄酒を「嘗めた」と記述する。詩篇69:22「人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢をのませようとします」とある。マタイは、この詩篇の義人の苦難を想起させようと、「苦味を味わった」とあえて記載するのである。
 イエスが十字架に釘付けされる有様はなにも述べられず、些末に思えるイエスの衣類を兵士らがくじ引き分けしたことが述べられる。これも詩篇22:19「わたしの着物を分け、衣を取ろうとして籤を引く」苦難の義人を指し示すためである。当時の読者は十字架刑がどのようなものかを熟知しており、細部の描写は不要であった。マタイは、罪なくして苦しむ義人として十字架のイエスを記述するのである。こうして、兵士等は十字架のそばに座り、見張りをした。
 イエスの頭上には、「ユダヤ人の王イエス」という罪状書きが掲げられた。これは通常ない、異例の処置である。ユダヤ民族を侮辱するためであるが、まず異教徒ローマが、イエス真の高位称号を認めた。誕生に際しまず異邦人の博士達が「ユダヤ人の王」と拝跪礼拝し、ゼカリアの予言した「ロバに乗る柔和な王」としてエルサレムに入城され、やがて全民族を右と左に分けて裁く王である方の、真の称号が、まず十字架において異邦人から認められたことに注目すべきである。イエスの左右に、二人の者が同じく十字架刑につけられた。
 刑場に曳かれゆき十字架刑に処せられる悲惨な有様を、マタイは何も描写しない。ただ、この無残な闇の中に、旧約聖書の預言の成就、すなわち神の足跡が残っていることを指し示すのである。
6.2 神の子の嘲弄
 イエスが十字架に釘付けされ、晒しものとされている間、①通りがかりの者達が頭を振り、彼を嘲った「神殿を破壊し三日の中に再建する者よ、お前自身を救え!神の子なら、十字架から降りてこい!」。詩篇22:8「わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る」に対応する。だがイエスは「自分の生命を救いたいと望む者をそれを失う」(16:25)と教えられた通り、自分を救うことを求めない。又、荒野の誘惑でサタンを退けた通り、「神の子なら○○せよ」との要求にも応じない。
 イエス謀殺を図った祭司長等をはじめとする民の指導者層全体は、もっと公然と読者らに挑戦する。「彼は他人を救ったが自分を救えない!彼は『イスラエルの王』なのか。それなら十字架から降りてみよ、そうすれば信じよう。彼は神を信頼するのか。神が彼をお気に召すなら、神が彼を救うだろう(これも詩22の嘲り)。彼は「神の子」と自称するのだから!」。これは、もはや敵対者の言葉を超え、自分の生命を求め愛する自然的人間の声といえよう。神の介入なしにイエスは失敗者である。他者を救い自分を救わない、自分に苦難と死をもたらす神を信頼する「神の子」である。
 イエスの左右に磔にされた者達も同じように彼を罵った。
6.3 イエスの死
 昼の12時から午後3時まで闇が地上を蔽った。闇が明け初めるころ、イエスは大声で「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と叫ばれた。アラム語で「わが神、わが神、何故わたしを見捨てられたのですか」であり、詩篇22:2の言葉である。それを、見物していた者が、エリヤを呼ぶ声と聞き違えた。(エリヤはユダヤ民間信仰で、窮地から助け出す者とされていた。)彼は海綿に「酢」を浸し棒の先につけて、吊されているイエスに呑ませようとした。喉の渇きを憐れんでか詩篇69:22の嘲りかは分からない。だが、他の連中は「待て待て、エリヤが助けるかどうか見ていよう」と止めた。結局、瀕死のイエスを揶揄したのである。
 イエスは、弟子はじめすべての人間から見放され、神も「遠く離れ、呻きも言葉も聞いて下さらない」。虐待され親に殺される子供や、ガス室に向かうユダヤ人と同じ、助けも慰めもなく死を迎えようとしている。その状況で、(祈りに)応え給わない神にむかって「わが神」と呼びかけ、そしてもう一度(同じ言葉を)大声で叫んで息を引き取られた。注解者は、アウシュヴィツの絶滅収容所の壁穴に、神を「わが神」とするユダヤ人の手記が発見されたことを付け加えている。イエスは、そのような無数の苦難する者の一人として、彼らに連帯して死なれた。
6.4 イエスの死に対する神の答え
 すると、神殿の垂れ幕が上から下に真っ二つに裂け、地震が起き、岩が裂け、墓が開き、聖者達が生き返り、イエスの復活の後にエルサレム城内で目撃された。イエスの見張りをしていたローマ兵等はこれらの出来事に震撼し、「(嘲りでは無く)本当に、この人は神の子であった!」といった。イエス自らの力の誇示によらず、神の証明によって、この「神の子」証言が生み出されたのである。「石からでも、アブラハムの子を起こすことのできる」神がなさしめた告白である。イエスの死の直後、彼を「神の子」とする証言が、まず異邦人の口に与えられたことに注目したい。
 神殿の垂れ幕が修復不能に裂け、至聖所が剥き出しになったことは神殿への裁きであり、同時に天の至聖所にイエスが自分の生命を捧げ物として入られ、旧約の時代が終ったことを示すのではないだろうか。甦った聖徒らのエルサレム市内出現は、終末の復活ではなく、不吉なエルサレム破壊予告と解釈すべきであり、まだこの世の範疇中での出来事である。
 私達は、イエスの死に、人間の死の嘆きを重ね合わせる。塵と灰になり土に還る有限の生命を、イエスも生きそして死なれた。死に於いても、イエスはインマヌエルであり、死から甦った方として死者と連帯される。この方の死が、死者と死すべき者の希望と慰めとなった。私達は、もはや無へと死ぬのではなく、イエスと共にある存在へと死ぬことができる。生においても死においても、私達は一人ではなくイエスのものなのである。
 次回は、イエスの埋葬を取り上げる。その後約一時間ほどマタイ受難曲前半を聴きたい。そして受難週に後半を聴き、イエスの苦難と死に感謝と讃美を捧げて礼拝に代えたいと思う。