家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

カナンの女の信仰、パリサイ人とサドカイ人のパン種

2018年10月14日 
テキスト:マタイ伝15:21~16:12
讃美歌:288&142
 
            第3部 イエスが、イスラエルから退かれたこと(12:1~16:20)
          C.イエスイスラエルからの退却と教会の生成(13:53~16:20)
 前回は、イエスガリラヤ湖歩行とペテロの従い、「父祖の戒め」を重視するパリサイ人との論争を取り上げた。パリサイ人とイエスの論争には、マタイの教会が異邦人伝道をするに際し遭遇した、律法をめぐるイスラエルの正統争い問題が反映している。歴史的には、ユダヤ教ではパリサイ派が優位を占めるようになり、のちのタルムード・ユダヤ教につながっていった。キリスト教内部においても、律法を重んじるマタイ的なキリスト教と、律法からの自由を唱える異邦人的キリスト教とが併存し、やがて異邦人が多数を占めるに及んで異邦人的キリスト教が優勢を占めるようになる。
 マタイは、この段落でイスラエルにおけるイエスの活動が次第にイスラエルの宗教的指導層から遊離し、イエスの弟子集団がいっそう特別な召しと教えを体験する過程を描いている。
2.清浄についての論争と、フェニキアへの退却(14:34~15:39)
2.3 カナンの女との出会い(15:21~28)
 パリサイ人律法学者との清浄論争を終え、弟子たちに人を汚すものは悪しき内面であることを教えられたイエスは、そこを立ち去って異邦人の地ツロとシドンに入られた。するとその地方出身のカナン人の女が(シリア地方のフェニキア人はカナン人と自称していた)、イエス来訪を聞きつけて出てきて「主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください。娘が悪霊に取りつかれています!」と叫び続けた。女の叫びは湖上のペテロ同様、詩篇の言葉である。だが、なんと哀れなことか、ダビデの子メシアはイスラエルの救い主であって、異邦人の彼女とは何の関係もないのである。イエスは黙殺された。しかし、なおもしつこく叫びながら後を追ってくるので、弟子たちはたまりかねてイエスに「この女を追い払ってください」というと、イエスは彼らに、自分はイスラエル以外の者には遣わされていないとお答えになった。黙殺、そして拒絶である。だが女は一行が立ち止まったすきに、イエスに近寄り平伏して娘を助けてくれと懇願した。イエスが「子供たち(イスラエル)のパンを取り上げて、犬(異邦人)に投げてあげるのはよくない」と言われると、女はその言葉を捉え、なおも追いすがった。「主よ、その通りです。だけど子犬だって、食卓からこぼれ落ちるパンくずは、いただけるじゃないですか!」。イエスは、その信仰を見上げたものとされた。そして、その時、女の娘は癒された。
 百卒長の息子同様、遠隔の癒しの話であるが、百卒長よりも厳しい拒絶に遭遇したこの女の「信仰」とは何であったのか。イスラエル人ではないから、イスラエルのメシア・ダビデの子からの助けも期待できない。まったくの欠乏と困窮状態である。人間的可能性は何もない。だからこそ、神の憐れみを唯一の可能性として求めて叫んだのである。信仰とは神のみを助けとし呼び求めることである。「この苦しむ者が叫ぶと、主はお応えくださった!」と詩篇はうたっている。苦しむ者の叫びは、賛美と変化する。信仰は、敬虔な感情ではなく、神のみを真剣に頼みとし叫び求めることである。イエスは、彼女の不屈の信仰を評価された。
 また、ユダヤを追い出され今や異邦のシリアで生活や伝道活動を開始しているマタイの教会にとって、世界伝道命令は復活後初めて下されたとはいえ、すでに生前のイエスがこの異邦の女の信仰に心動かされたことを、意味深く受け取ったことであろう。
2.4 癒しと第二の供食(15:29~39)
 これは前回の5000人の供食と同じパターンである。イスラエルから退却されたといってもイスラエルの民に対しては、以前同様に説教と癒しを続けられた。洗礼者ヨハネへの返答「盲人は見え、足萎えは歩き、死人は蘇り、貧しい人は福音を聞かされている」というメシアの業を継続されたのである。また、それだけでなく帰る途中で弱り切ってしまわないように、群衆を身体的にも養われた。その上で、彼らを解散させ、船に乗ってガリラヤからマガダン地方(イスラエル領内だがどこか不明)に行かれた。
3.天からの徴の2回目の要求とカイサリア・フィリピへの退却(16:1~20)
3.1 徴の2回目の要求とイエスの退却(16:1~4)
 サドカイ人(祭司階級)とパリサイ人(平信徒)は信仰的には対立していたが、イスラエル宗教指導層としてイエスに反発することは一致していた。彼らはイエスに「天からの徴」を求めた。石をパンに変えるとか、荒野の誘惑のような、人目を驚かす奇跡を求めたのであろう。夕焼けや朝焼けのあり様をみて天気を見分けるられるのに、眼前のメシアの業(盲人は見え、足萎えは歩き、死人は蘇り、貧しい人は福音を聞かされている)をみながらイエスを信じない彼らに、イエスは、ヨナの徴(三日目の復活)以外は与えられないと答えられて立ち去られた。
3.2 パリサイ人とサドカイ人の教えに対する警告
 弟子たちがやっとイエスに追いついてきた。だが、食料のパンを持参するのを忘れていた。イエスは、弟子たちが不在の間のパリサイ人らのやり取りから、弟子たちに「パリサイ人とサドカイ人のパン種に警戒しなさい」といわれた。弟子たちは何のことか解らず、食料持参しなかったことを咎められたと思ってしまった。イエスはそれに気づかれて、二回も群衆を養われたイエスの力に信頼しない彼らの小信仰を叱責された。パン種とは伝染力のある教えのことである。パリサイ人とサドカイ人は共通して、自分たちの教説に固執しイエスに聞こうとしなかった。イエスは、メシアの宣教を受け入れない彼らの(律法解釈や清浄規定などの)教えを警戒するようにと、いわれたのであった。イエスに教えられる弟子集団と、パリサイ人とサドカイ人らに指導されるイスラエル一般層との分離が次第に明らかになってくる。