家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

洗礼者の最後とガリラヤ行きの決断

2020年8月23日

テキスト:ヨハネ伝3:22~4:4

讃美歌:124&291

                        A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)
2.救済者の初期の徴と啓示説話(2:1~4:54)
 前回まで2回にわたり、「神から来た教師」としてイエスに教えを求めたニコデモに、「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と、教えられたことを学んだ。
 今回から、エルサレムを退出後から、ガリラヤで活動を開始されるまでの初期の時期に入る。
(3)ガリラヤで活動開始されるまでの出来事(3:32~4:54) 
a.ユダヤでのイエスの活動と洗礼者(3:22~36)
 過越祭の期間中、イエスエルサレムに留まっておられたが、その後、弟子達とユダヤ地方南部に滞在し、洗礼活動をされた。マルコ伝などは、イエスの洗礼活動を報告していないが、実際は、ガリラヤで活動される以前、ユダヤ地方で洗礼者ヨハネと同様の洗礼活動をされたようだ。宣教の言葉「悔改めよ、神の国は近づいた」も、洗礼者と同じである。
 一方、洗礼者も遠く隔たった「サリムの近くのアイノン」(ガリラヤ南部ヨルダン渓谷、サマリア北部近く)で洗礼活動を行っていた。大勢の人が、そこで洗礼者から洗礼を受けた。
 洗礼者ヨハネの弟子達と、一人のユダヤ人との間で、浄め(洗礼)について論争が起こった。一人のユダヤ人とは、イエスから洗礼を受けた者であろう。洗礼について、ヨハネの弟子達と見解の相違があったのである。(水の洗礼はそれ自体が清めではなく、聖霊による洗礼の徴であるから)。
 そこでヨハネの弟子達は、師のもとにきて、「ヨルダン川の向こうであなたと一緒にいて、あなたが証された人(イエス)が、洗礼を授けていて、皆が彼のところに行っています」といった。このような事態は放置できない、洗礼者ヨハネが師としての権威をもって対処しなければ、イスラエルの民は皆イエスに従うようになり、師(洗礼者)が宣べ伝えた洗礼が違ったものになってしまうと懸念したのである。イエスの影響力が、洗礼者をしのぐことに対する妬みもあったであろう。彼らは、洗礼者の証しにもかかわらず、イエスに従っていかず洗礼者のもとに留まった者達であった。
 洗礼者は「人は、天から与えられねば、何も受けることはできない。自分がメシアではなく、その方の前に遣わされた者(先駆者)であると言ったことは、お前達自身が証人のはずだ」といった。つまり、人が為す奉仕は、天から授かった使命(賜物)の範囲内であり、自分が賜ったのは、メシアではなく、その「先駆者」としての使命である。そのことは、以前から弟子達に云っていたとおりだという意味である。(イエスをメシア、自分はその先駆者と位置づけている)。
 婚礼の主役は花婿(メシア)であり、その到来を告げる花婿の友人(先駆者)は、花婿が到着し婚礼が開始されれば喜ぶ。そのように、メシア到来を予告した自分は、彼(イエス)が到来しメシアとして活動を開始されたことを喜ぶ。到来された方(イエス)は、これからメシアとして盛んに働かれ、(先駆者としての役目を果たした)自分は、活動を終息させて消え去るのが必然である、と云った。自分はメシアの先駆者として使命を達成し終えた、と洗礼者は認識したのである。
 31節以降は、洗礼者ヨハネの言葉か著者の地の文か判然としない。洗礼者ヨハネの言葉というより、むしろこの出来事を解説する著者の言葉であろう。
 「上から来る方=神の子・イエス」は、他のすべての人間達(預言者使徒・洗礼者など)の上におられる。「地からでる者=預言者使徒・洗礼者など」は、地に属する者として(預かった権威の範囲で)語る。だが、「上から来られる方」は天に属する者(神)として(直接)語られる。
 天に属する「上から来る方=神の子・イエス」は、ご自分の知識・体験から証しておられるが、誰もそれを信じない。人間には、信じがたい事柄だからである。だが、(霊によって新しく生まれ)イエスの証を信じ受け入れる者は、そのことによって神を真実な方と(署名・押印したように)身を以て証明することになる。人間が、イエスの証を受け入れる事は、神の霊の働きによってのみ起こる。だから、地に属する人間である限り、私達キリスト者も本来的には信じない(信じられない)者達なのであり、繰り返し十字架を仰ぎ見て、上から来る「信仰への決断」を為さねばならない。
 神が派遣された方(イエス)は、神の言葉を直接語られる。父である神が、聖霊を限りなく彼に与えられたのだから、イエスにおいて、父・子・聖霊が一体として語り働いておられるのである。
 父なる神は、御子への愛において、万物を創造し、御子に一切を委ねられた。万物(神に背く世を含む)への愛の根源は、御子への愛なのである。御子はご自分への神の愛を、万物への愛として執行し、人間に神を愛する(神の子供としての)「永遠の命」を与える。その為に、人間イエスとして世に到来された。イエスを、このような方(聖霊による洗礼者、神を啓示する方、神の愛の担い手)として信じる者は、(終末を待たず、信じたその時から)永遠の命を持つ者として、新しく生まれる。だが、信じないで「御子に従わない」者は、(そのこと自体が裁きとなって)永遠の命に与らず、神の怒りがその上に留まる。
 以上は、前の3:15以下特に16節「神はその独り子を与える程、世を、愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」を、「地に属する者=洗礼者ヨハネ」の立場から繰り返したことになる。
 これは、洗礼者が投獄される前のことであった。(その後、彼が預言したとおり、領主ヘロデによって投獄・斬首処刑された。主の先駆者の生涯は、このように終わったのである。)
b.サマリアにて(4:1~42)
ガリラヤ行きの決断(4:1~4)
 洗礼者が投獄されたのは、洗礼活動が民衆の反ローマメシア運動を蜂起させる恐れからであった。同様に、ユダヤ教当局(ヨハネ伝は執筆当時の事情から、それをパリサイ人としている)も、イエスが洗礼者よりも多く弟子を作り、洗礼活動をしておられること(2節で、洗礼を授けたのはイエスではなく弟子達だったというのは、後代の加筆である)を把握し、警戒を強めた。そうなれば、ローマに対するユダヤ側の自治(宗教的支配)が危うくなるからである。イエスは、それを知られたとき、ユダヤを去り、ガリラヤに戻られることを決意された。
 イエスの決断には弾圧を避ける目的もあった筈だ。御生誕の時以来、ガリラヤはエルサレムの権力(ヘロデ王ユダヤ教当局)から主が逃れる場所だったから。同時に、洗礼者とは異なる独自の道(メシアとしての道)に進まれるためであった。以後、イエスは洗礼活動をしておられない。
 ユダヤからガリラヤにいくには、サマリアを北上するのが近道だが、ユダヤ人はサマリア人との接触を避けるため迂回するのが通常であった。ところが、何らかの事情(イエス逮捕の切迫か、または神的必然性?)でサマリアを通過しなければならなかった。
 ヨハネ伝は、マルコ伝に記載のないイエスの活動を補足する執筆意図があり、ここまでは史実の可能性がある。だが、イエスが次の説話に語られるようなサマリア伝道をされたかと言うと疑問である。
 なぜなら、ツロ・フェニキアの女の話(マルコ7:24以下)にあるように、地上のイエスは異邦人を宣教の対象外としておられた。そして、十人の癩病人の癒やし(ルカ17:11以下)では、戻って感謝したサマリア人を「他国人」と言っておられる。また、十二弟子派遣に際し「サマリア人の町に行くな」と命じられた(マタイ10:5)。そのほか、使徒行伝8:4以下には、サマリア伝道は、ステパノ殉教後に散らされたヘレニスト伝道者ピリポが始めた、との記載がある。だから、イエス御自身はサマリアに宣教する意図はなかったと思われる。
 その一方、イエスが旅に疲れて井戸辺に座り込まれた様子や、食料調達から戻った弟子達がイエスサマリアの女と話しておられるのに驚いたりする記事は、妙にリアリティがある。サマリア通過の際、お供した弟子達(ガリラヤ出身のピリポやナタナエル?)の実体験かのようにみえる。
 だから私達は、イエス一行がサマリア通過の際、偶発的にサマリアの女及びサマリア人等と何らかの触れ合いがあり、その出来事を核として、この説話が作られたと考えて読み進みたい。