家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

宮浄め

2020年7月12日

ヨハネ伝2:13~22

讃美歌:130&142
                               A.救済者の地上の働き(1:19~12:50)
 前回は、イエスの最初の奇跡(徴)が語られた。今回は、それに続き、新しい時代の到来を告げる別のかたちの「徴」である。
                        2.救済者の初期の徴と啓示説話(2:1~4:54)
(1)新しい時代の到来
b.新しい神殿(2:13~22)
 この所謂「宮浄め」の事件は、「傷める葦を折ることもしない」柔和なイエスからは予測もできない激しい行動であり、またイエスの逮捕の直接の口実となった重大な事件として全福音書に取り上げられている。しかしマルコ伝を資料とする共観福音書ヨハネ伝は、①その時期、②イエスの神殿批判の言葉、が異なる。また、ヨハネ伝は「(神殿を)三日で起こす」というイエスの言葉を最初の③復活預言としている。
①時期について
 まずこの出来事がイエスの活動のどの時期で起きたことか考えて見たい。共観福音書はイエスエルサレム上京は受難直前ただ一度としているから、その時の事とするほかない。しかし、ヨハネ伝ではイエスは何度か上京され、また「過越祭が近づいた」との言及が三回ある。そのうち(2回目の6章4節ではイエスは上京されず、11章55節は受難の過越祭である)、最初の過越祭の出来事とする。つまり、約3年にわたるイエスの活動の最初の年とする。どちらが史実に近いのだろうか。
 十字架のイエスを通行人達が「三日目に神殿を建て直す者よ、自分を救え」と嘲ったという記事がある。十字架の数日前の出来事であれば、この言葉がそこまで人々に周知されていただろうか。実際はかなり以前の出来事だったからこそ、有名となったのではないか。
 また、「縄で鞭を造る」という具体的な行動を報告しているのはヨハネ伝だけである。エルサレム住民であった長老ヨハネは、イエスが上京される度にイエスのお供をしたであろう。そして、この事件を直接目撃したと思われる。マルコ伝を知っていた長老ヨハネが、その記載に逆らってわざわざこの事件をイエスの活動初期に置くのは、それが事実だからであり、マルコ伝記事を訂正する意図があったのではないか。
 また、イエスはその活動の初期、洗礼者グループの一人として水による洗礼活動をされていたとの記載があり(3章22節参照)、洗礼者の悔改め運動は形式的神殿祭儀への批判が籠められたものであったから、この出来事はその頃のものと見るのが自然である。
②イエスの神殿批判の言葉の違い
 共観福音書平行記事では「わたしの家は、すべての国民の祈りの家と呼ばれるべきである』とイザヤ56:7を引用され、「ところが、あなた方はそれを強盗の巣にしている」と、宗教を利用して民を収奪支配する神殿体制を怒の対象としている。確かに、エジプトでの奴隷状態から解放した神を礼拝する神殿が、民を搾取する機関となったことに怒りを発せられたことは事実であろう。これは宗教が体制化するとしばしば起きることであり、宗教改革の原因となった免罪符販売などもその一つである。しかし、イエスの実力行使によって事態が変えられたかというと、効果は一時的であり、神殿を改革し粛正すること自体が目的でないように見える。
 これに対し、ヨハネ伝はイエスの言葉を「私の父の家を商売の家としてはならない」としている。これは、終末におけるエルサレムの浄めの預言「その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない」(ゼカリヤ14:21)から来ている。そして、初めて神を「父」と呼び、ご自分を神の子として示されている。ということは、ヨハネ伝は、イエスの行動を単に神殿の改革粛正を目的とした行動としてではなく、エレミアが首に軛を負って、イスラエルの捕囚の運命を預言したように、主の宮にもはや商人達のいない終末時到来を告げる預言的象徴行動として見ているのである。
 イエスは4章でサマリアの女に「エルサレムでもこの山でもない所で、霊と真理とを以て礼拝する時が来る。いや、すでに来ている」と語っておられる。つまり、神殿祭儀によらず、復活のイエスにおいて、霊と真理とをもって礼拝する終末到来を告げらておられた。だから、イエスの神殿での振る舞いも、宮浄め=神殿改革というよりも、御自身が到来した以上、祭儀による礼拝の終焉を告げる預言行動なのである。従って、それは同時にエルサレム神殿の役割終焉を告げる終末的預言であった。
 だが、そうとは知らない弟子達は、師の熱情的行動が神殿側の反発を誘う事を憂慮し、「あなたの家(神殿)を思う熱心が…」という詩篇の言葉を思い出していた。
③復活預言
 ユダヤ人達(例のヨハネ伝特有の敵対者への呼称)は、こんなことをする以上はその権威の根拠となる「徴」を見せろと要求した。イエスは「(お前達が)この神殿を壊してみよ。わたしは三日でそれを起こす(建て直す)」と言われた。イエスの裁判でイエスに不利になる証言としてイエスが神殿を破壊するといったという偽証がなされた。しかし実際は、イエスはご自分が破壊すると言われたのではなく、(祭儀を商売とする)神殿体制自体が神を礼拝する場所としての神殿を破壊すると預言されたのである。(実際に、重税より自作農は土地を失い、小作人や日雇い労務者が増大し、彼らの決起により、神殿はローマ軍によって破壊され、祭儀体制も崩壊した)。
 また、三日で(建築物を)「建て直す」ではなく、復活を意味する用語「起こす」と言っておられる。22節の「イエスが死者の中から起こされた(復活された)とき」(この場合は受身形)と同じ動詞であり、建築物としての神殿ではなく、復活のイエス御自身が神を礼拝する場となられることを意味している。
 だが、ユダヤ人達は言葉通りに受け取り、ここまで建築するのに46年かかったこの神殿(ヘロデ大王がBC19年に建築に着手してBC9年落成。その後も、工事が続きAD64年竣工した。だからこの事件は、BC19年から46年後のAD27年頃である)を、イエスが三日で建て直すと大言壮語したと、嘲った。弟子達も、イエスの云われた「三日のうちに起こす」を、(建築物としての神殿ではなく)復活のイエスにおける神礼拝であると悟ったのは、イエスの復活後であった。その時まで、イエスのこの言葉は彼らにも「謎」であったのである。
 真の礼拝は、特別な時に特別な場所で賛美歌や儀式等によって為されるものではない。パウロはロマ12:1で次のように語っている。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これが、あなた方が為すべき、霊的礼拝である」。つまり、聖霊に導かれつつ、自分自身を神に捧げることが礼拝なのである。特別な場所や時間においてでなく、どこにいてもいつであっても、「アッバ、父よ」と呼ぶ神の子として、神に愛され神を愛する者として、神との交わりに生きるのが、真の礼拝である。これをしっかり心に留めた上で、信仰を互いに励まし合う教会共同体としての礼拝を大切にしたい。
 これは広大な神殿の前庭のほんの一画での事件であり、イエスの行動が預言者としての権威に基づくものである事はおのずと理解されたから、イエスが直ちに神殿警察に拘束されることはなかった。だが、洗礼者に監視団を送ったように、エルサレム体制側は以後、イエスを神殿批判者として危険視するようになる。
 この出来事は、奇跡ではない。だが、カナの婚礼の奇跡と同じく、イエスの到来にどんな意味があるかを弟子達に示す「徴」として語られている。イエスは、人間の労苦と涙を喜びに変える花婿であると同時に、祭儀による間接的礼拝を終結させ、彼御自身を神殿とし、彼において人が神を礼拝する(ナタナエルに預言されたとおり、「人の子」の上に天使が昇り降りする)新しい時代をもたらす終末的メシアであり給う。ヨハネ伝は、イエスの地上での活動の最初に、メシア到来の新時代開始を告げる二つの「徴」(カナの婚礼の奇跡と宮浄め)を置いたのである。