家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

大祭司の審判-1

 

2019年12月29日

テキスト:マタイ伝26:57~66

讃美歌:138&348

                    第6部 受難とイースター(26:1~28:20)

 前回、ゲッセマネでのイエスの逮捕劇を取り上げた。そこでは、イエスが、こともあろうに自ら選び出し福音宣教のために訓練した十二弟子の一人ユダにより、祭司長らの手先に逮捕されたこと、逮捕に際し弟子達の抵抗を禁じられたこと、弟子達は全員逃げ去ったこと、が語られた。印象的なのは、これらは預言の実現であると強調されていることである。イエスご自身も弟子たちに54節「(天使の軍勢を呼び出をしたら)聖書の言葉がどうして実現されようか」と云われ、また、56節(イエスの言葉の末尾に付されているが、実は福音書記者の地の文)で再度総括されている。
 実際、人間的な目からは、イエスは自分の弟子に敵に売り渡され、その他の弟子達は全て逃げ、今までの宣教の成果はあっけなく崩壊したかのように見える。しかし、これらを預言された神の計画の実現であるとし、弟子にも抵抗を禁じたイエスの威厳ある態度は、それとは違った異様な印象を与える。彼は、このような絶望的な状況の中においてなお、揺るぎなく神への信実を貫き通す義人、従順な神の子として振る舞われた。弟子達は、この姿から容易にイザヤが預言した苦難の僕の姿を想起したに違いない。
 今日から、大祭司の宮殿での出来事が語られる。
4. 大祭司の宮殿で(26:57~27:10)
 私達が読んでいるのはマタイ伝であるけれども、大審院(サンヘドリン)での審判記事は福音書によって、少しずつ異なる。原因は、イエス側(弟子側)の目撃証人が存在しないことと、福音書成立時期(教会がシナゴーグから迫害・追放された時期である)のキリスト者達の体験と関心が混じり合ってしまったことである。
 共通する事項は、①何らかの形で、大祭司らエルサレム貴族らの前でイエス審問が為されたこと(おそらく全大審院が集う正式な会議ではなかったらしい)、②祭司長らの審問とペテロの否認が結びついて語られていること(本人の証言であろう)の二点である。私達は、福音書の記述の違いは福音書記者が伝えようとするメッセージの違いと心得て読んでいきたい。
4.1 イエスとペテロは大祭司の邸に入る(26:57~58)
 イエスを逮捕拘束した者達は、彼を大祭司カヤパの邸に連行した。そこに、エルサレム神殿を中心とした宗教的支配者層(祭司長らやご用律法学者達)が集められてきた。ここはサンヘドリン(大審院)の公的な集会場所ではない。だから、大審院の公的審判でなく予備的審問であった可能性がある。しかしマタイはこれを大審院の公的審判として描写している。
 ペテロは、逮捕されないよう「ずっと離れて」イエスの後を追っていった。そして、事件の成り行きをみるため宮殿(の中庭)に入り込み、下役と一緒にそこに座っていた。
4.2 大祭司の前での審判
 既に26章3・4節で記載されているとおり、祭司長達や民の長老達(宗教的支配者層)は、ここカヤパ邸でイエス殺害の謀議を行っていた。だから当初から、イエスを死刑にする結論は決まっておりそれを引き出すための審判であった。
 紀元6年、ユダヤはローマの属州となり、ある程度の自治が認めらていた。従って、ユダヤ支配層はローマに対し、治安維持の下請けとしての責任と権限を任されていた。宗教的支配者層(以下、エルサレム貴族という)はローマ支配を嫌っていた反面、暴動や騒乱を起こしやすい動きには警戒の目を向けていたのである。ヨハネ伝11:48~50を読んでみよう。「このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」とは、彼らがなぜイエスを殺害しようとしたかの動機を表現している。

 彼らが恐れた民衆の熱狂は、イエスエルサレム入城で頂点に達した。そこに宮浄め(神殿で、両替商や犠牲獣の販売商の屋台を覆されたこと)で神殿商人らとのトラブルが起きた。商人らの訴えがある以上、取り調べの必要がある。これが、イエス逮捕の直接の口実となったのではないか。
 だが、ユダヤ側には死刑にする権限はなかった。大審院の判決なら石打ち(リンチ)が限度だが、民衆のイエス支持を考えると困難である。確実に抹殺するためには、騒乱罪でローマ当局に引き渡す必要があった。
 大祭司らの審判は、まず騒乱の証拠固めから始めた。何人もの偽証人達を出したがイエスに不利な証言は得られなかった。マルコ伝は、彼らの証言が合わなかった(証言が証拠となるには複数の証言が合わねばならない)と理由を述べているが、マタイは省略し、最後の二人(複数)の証言が合ったとする。これが「神殿を打ち倒し、三日のうちに建てる」というイエスの言葉である。
 「神殿を打ち倒す」とは衝撃的な反神殿言葉である。神殿を「諸国民の祈りの家」と尊ばれたイエスが、自ら破壊すると言われたかは疑問だが、「三日のうちに建てる」とは復活予告として語られた可能性がある。マタイが資料としたマルコ伝では「人の手によって建てた(建てたのではない)」を神殿の前に付加し、この言葉の衝撃を和らげ、かつその証言さえ合わなかったとしている。
 だが、マタイは「神殿を打ち倒し」とはっきり表現し、かつ、その証言が合った。つまり、証拠として成立したとする。そこで大祭司はイエスに、不利な証言に対する答弁を求めた。だが、イエスは黙っておられた。神に釈明する義務は負うても、この審判(どっちみちイエスを死刑にするための形式的手続きである)で釈明する義務も必要もないからである。
 そこで、イエスの奇跡の噂を聞いていた大祭司は、不安になった。もし本当に神殿を破壊し、三日のうちに再建できるなら、奇跡的を起こす神の子であり、預言されてきた世界征服者のメシアである。そこでイエスに、神に誓って真のキリストかどうか答えよ、と迫った。読者は、イエスが誓いを禁じられたことを思い起こすであろう。イエスはなんとお答えになるだろうか。
 マルコ伝では、イエスは大祭司に対し「そうです」(マルコ14:62)とはっきり答えておられる。だが、ここではイエスは「それは、あなたが言ったことだ」と、誓うこともなく、冷静簡潔に、消極的な肯定の答えをされた。
 荒野で石をパンに変えたり、高所から飛び降りてみよ、といったサタンの誘惑を退け、また逮捕に際し天使の軍勢をあえて求め給わなかったイエスは、確かに神殿を三日で奇跡的に再建できる力を持っておられた。だが、大祭司の誘いにのった答えをされなかった。「神の子であるなら○○をしてみよ」といった試みの要求や、「徴」を求める不信仰に対してはお答えにならない。それが、イエスの答えにマタイがこめた意味ではないだろうか。
 また、大祭司が疑った奇跡で世界を屈服させる政治的メシアではあり給わないことも含まれているように思う。
 なお、イエスは続けて、大祭司に問われたのではない事柄を付け加えられた。それが、「しかし、私はあなた方に言っておく。」以下の言葉である。そしてそれが、大祭司らがイエスを死に値するとした口実となったのだが、次回に取り上げることとする。