家庭礼拝記録

家庭礼拝の奨励、その他の記録

湖上歩行と、最初の神の子告白

2018年9月30日
テキスト:マタイ伝14:22~15:20
讃美歌:1&304

            第3部 イエスが、イスラエルから退かれたこと(12:1~16:20)
          C.イエスイスラエルからの退却と教会の生成(13:53~16:20)
 前回9月9日から都合でだいぶ間が開いてしまった。礼拝は、聖書から自分が自分の主人ではなく、神が私たちの主人であることを聞き、神に自分をささげることである。自分を追求し虚無に陥った人間を神は追い求め、主の贖いによってご自分のものとしてくださった。もはや自分ひとりではなく主にあって神と兄弟姉妹との交わりのなかにあることを思い起こし感謝するために、礼拝を大切にしたい。
 さて、前回はイエスヨハネ殺害を知ってご自分の苦難の道を自覚され,イスラエルでの積極的な活動から身を引かれ祈られたこと、荒野に彼を追ってきた群衆を癒し5個のパンと2匹の魚をもって養われたことをを読んだ。今回もその続きである。
        1.ヨハネの殺害とイエスの最初の退却
1.4 湖上でのイエスとペテロ、最初の神の子告白(14:22~33)
 荒野で癒しを行い、5000人を奇跡的に養われると、イエスは弟子たちを船に乗船させ、ご自分が群衆を解散させておられる間に対岸に向かうよう指示された。そして一人で山に登って祈られ、日没後もそこにとどまっておられた。一方、弟子たちは岸からかなり離れたところで嵐と逆風に苦しみ進めないでいた。明け方4時ごろ、イエスは水の上を歩いて彼らに近づいてこられた。弟子たちが幽霊と勘違いして恐怖の叫びを上げた。イエスは「しっかりせよ、私である。恐れるな」といわれた。ペテロは感激のあまり「主よ、あなたでしたか。では、私に命じて水の上を渡ってみもとに行かせてください」といった。イエスがその願いのとおり命じられると、彼は水の上を歩いてイエスに近づいた。だが、風と波を見て恐怖しおぼれかけ、叫んでいった。「主よ、私を助けてください!」。イエスは手を伸ばして彼を捉え、「信仰の小さい者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。イエスとペテロが船に乗り込むと嵐はやんだ。弟子たちは船底に平伏し、「本当にあなたは神の子」ですと告白した。
 水上歩行はユダヤ的伝統にはほとんどなく、ヘレニズム的である。だがイエスは、神的存在に恐怖する弟子たちに、イスラエルの神顕現の定型的表現「恐れるな、私(神)は…」でお答えになる。ペテロは感激のあまり(決して好奇心からではなく)、自分も水(困難・死・虚無)を渡ってみそばに行きたいと願う。イエスがそれを命じられると船から降り水の上を歩いてイエスに近づいた。だが恐怖に襲われ溺れかける。「主よ、お助けください」とは詩篇69篇の言葉である。(「大水が流れきて、私の首にまで達しました。…」と続く。ロチェスターに狂人の妻がいたことを知ったジェーン・エアに、同じ詩篇の祈りが浮かび上がる描写がある。)イエスが神的保護・救助を与える。信仰者は困難で不可能にみえることでも、主が命じられれば主を信じて歩みだす。人間的保証から抜け出し、神に信頼してあえて困難に陥った者のみが、神的救助を体験する。人間的安全の中でではなく嵐や困難の中に神の助けが現れるのである。パウロも「弱いときにこそ、私は強い」と語り、また主は「私の力は弱さの中に完全に現れる」と彼に告げられた。信仰とは単に疑わないだけでない。疑いと迷いの中で「あえて」信じ、神の救いの力を体験させられることである、とこの箇所は語っている。主が自分の疑いを受け入れ、それを克服してくださったという体験が、神の子・救い主への信頼と確信の信仰告白に至らしめるのである。ヒトラーに抵抗した教会の記録は、いみじくも「嵐の中の教会」と題され、示された神の助けを賛美している。
     2.清浄についての論争と、フェニキアへの退却(14:34~15:39)
2.1 ゲネサレトにおける癒し(14:34~36)
 対岸、ゲネサレトに到着すると、当地の人々はイエスと知って周辺地域全域に人を遣って病人を連れてこさせた。イエスの衣の房にでも触れさせてくれと願い、触れた者はすべて癒された。
2.2 清浄についての論争
 この段落を読む上で、理解しておきたいことは、マタイ伝が書かれたときはユダヤ戦争によってサドカイ派エッセネ派といったローマ対抗的ユダヤ教はすでに壊滅し、残された和平派に属するパリサイ派vsユダヤキリスト教徒が、正統のイスラエルがどちらであるかを争っていたことである。世界中にあるディアスポラシナゴーグで、パリサイ派ユダヤ教キリスト教が律法理解を争っていた(パウロの伝道活動を思い出そう)。マタイの教会は愛に代表される倫理規定を重点に置いて、清浄規定や祭儀規定をその下位においた。これに対しパリサイ派旧約聖書十戒等だけでなく、聖書にない「父祖の戒め」も重視し双方を決議論的に総合することがあった。実際、それ以後のユダヤ教の清浄規定は旧約聖書だけでなく「父祖の戒め」も取り入れたパリサイ派の解釈に影響されたようである。
 イエスは「手を洗う」こと(父祖の戒め=清浄規定)に関する問いに対し、直接返答せず。「父祖の戒め」=人間の戒めが誓願物の取り扱いで、十戒の第4戒に触れることがあるとして、「父祖の戒め」=人間の戒めを神の戒めより上に置く偽善だと批判された。そしてもはや彼ら(パリサイ人ら)を相手にせず、民衆に直接、汚れは外からではなく人間の内部からくると教えられた。
 弟子たちがパリサイ派がイエスに憤激していることを伝えると、「神が植えなかった木(パリサイ派の律法解釈)はいづれ抜き取られる。彼らは目が見えない盲人道案内人であって、導かれる人ともども穴に落ち込むことになる」と言われた。
 ペテロが弟子を代表して説明をお願いすると、口から入るものは腹を通過して便所に落ちるだけ(つまり腹だけは汚れるが一時的)であり、かえって心の内部の悪徳が人間を汚すのである。洗わない手で食事をすることが汚すのではない」といわれた。
 異邦人キリスト者を対象にして書かれたマルコ伝の平行記事にある「どんな食物も清い」がカットされているところに律法重視するマタイ伝のこだわりがある。
 キリスト教信仰は、決して一枚岩ではなく律法解釈や立場の違いで当初から現在に至るまで対立や論争が存在する。しかしどんな立場であっても、「主はひとり、御霊はひとつ、信仰はひとつ」の信仰を共有する。ついに一つの群れとなる時まで、私たちもただ一人のイエス・キリストを見上げて、信仰の歩みを進めていきたい。